海沿いの小さな町に、いつも髪をポニーテールに結んでいる少女・莉央がいた。
彼女のポニーテールは、ただの髪型ではなく、町の人から“風を捕まえる尻尾”と呼ばれるほどよく揺れ、どんな時でも元気をくれる不思議な存在だった。
中学生になった頃から、莉央は毎朝、家の裏にある小さな岬に立ち、海を見つめながら髪を結ぶようになった。
その姿を見て、幼なじみの陽斗はよくからかった。
「また儀式してるの?」
「儀式じゃないよ。これを結ぶとね……今日も頑張れるような気がするの」
ぽん、と軽く束ねた髪が跳ねるたび、莉央は心が軽くなる気がした。
しかし、そんな莉央にも一つだけ秘密があった。
彼女のポニーテールは、自分が自信を失った瞬間にだけ、重たくしずんでしまうのだ。
誰にも言っていないが、幼い頃からずっとそうだった。
季節は春。
中学最後の大会を控え、莉央は陸上部のリレーのメンバーに選ばれた。
町で唯一の小さな中学校の、最後の大舞台。
だが、練習のたびに莉央の胸には不安が押し寄せていた。
――私で、本当にチームの力になれるのかな。
ある日の練習帰り、陽斗が言った。
「最近、ポニーテール元気ないよ。どうした?」
莉央は驚いた。
髪の変化に気づいた人は、これまでほとんどいなかった。
「……ねえ、陽斗。ポニーテールって、揺れると元気になれる気がするの。でもね、私が弱気になるとすぐに重くなるの」
陽斗はしばらく黙っていたが、やがて優しく笑った。
「それ、髪じゃなくて莉央の心だよ。重たい気持ちは、誰でもある。でもさ――一緒に軽くしていこうよ」
莉央はその言葉に、胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
大会当日。
空は晴れているのに、風だけがやけに強かった。
スタート前、莉央は控え室の隅でポニーテールを結び直した。
だが、緊張で指が震える。
髪はまた重く、しずんでいく。
その時、陽斗が小さな紙袋を差し出した。
「ほら、これ使えよ」
中には、青いゴムが一本入っていた。
「海みたいな色だろ。莉央、青が好きだったよな」
「……覚えてたの?」
「当たり前だろ。幼なじみなんだから」
莉央は青いゴムを見つめながら、そっと髪を結び直した。
ぎゅっと結んだ瞬間、重さがふっと軽くなる。
――いける。走れる。
いよいよリレーが始まった。
莉央は第二走者。
バトンを受け取った瞬間、風が強く背中を押した。
ポニーテールが勢いよく跳ね上がり、その動きが自分を前へ引っ張ってくれる気がした。
最後のカーブを駆け抜け、莉央は次の走者へとバトンを渡す。
息が切れているのに、胸の奥には清々しい熱が広がっていた。
結果は僅差の二位。
けれども、誰よりも嬉しそうに笑っていたのは莉央だった。
「莉央、すげえ良い走りだったよ」
陽斗がそう言って肩を叩くと、莉央はポニーテールを指でつまみながら照れくさそうに笑った。
「ねえ、陽斗。私ね、今日気づいたんだ。ポニーテールが揺れるのって、風のせいだけじゃない。誰かが私を応援してくれてるって、ちゃんと感じられるからなんだよ」
「じゃあ、これからも揺らしていけよ。ずっと応援してるからさ」
夕暮れのグラウンドで、莉央のポニーテールがまた軽やかに跳ねた。
風を結んだその尻尾は、これからも彼女の背中を押し続けるのだろう。
そして莉央は思う。
――きっと、私が走る限り、このポニーテールは何度でも勇気をくれる。

