アンデスの高地に、小さな影がひらりと跳ねた。
月の光を受けて銀色に輝く毛並み――それは、一匹のチンチラだった。
名前はルミナ。
ふわふわの体に、黒いビー玉のような瞳。
仲間からは「少し変わった子」と言われていた。
なぜなら、ルミナは月が大好きだったのだ。
ほとんどのチンチラは夜の静けさを好み、岩陰や巣穴でそっと過ごす。
しかしルミナは違う。
月が昇ると胸がざわめく。
どこか遠くへ、月のほうへ、走り出したくなる衝動に駆られるのだ。
ある晩、満月が空いっぱいに丸く広がった。
まるで山を照らし、道を示すように輝いている。
ルミナは誰にも言わず、仲間の群れを抜け出した。
風は優しく、砂利は乾き、走るには完璧な夜だった。
「今日なら、あの封じられた谷に行けるかもしれない」
封じられた谷――それは、古くからチンチラたちに伝わる伝説の場所。
強い月光が差し込む年に一度だけ、谷の奥に“光る石”が浮かび上がるという。
その石を見た者は、どんな暗闇の中でも帰る道を見失わないと語り継がれていた。
ルミナは好奇心に突き動かされ、岩肌を軽やかに跳びながら谷へ向かった。
しかし、道のりは予想以上に険しかった。
深い斜面、崩れた岩、冷たい風。
途中で足を止めるたび、不安が胸によぎった。
そんなとき、背後から小さな足音が聞こえた。
「ルミナ、やっぱりここにいたのか」
現れたのは親友のチリだ。
ずんぐり体型で臆病な性格だが、ルミナのこととなると誰よりも心配性だった。
「勝手に行くなんて心配したよ。何を探してるの?」
「光る石を見に行きたいの。きっと、何かが変わる気がして…」
「危ないよ。でも…君がどうしても行きたいなら、ぼくも行く」
チリの言葉にルミナは胸が温かくなった。
二匹は並んで谷の奥へと進んだ。
やがて、月が天頂に達した頃、谷の底からかすかな光が立ち昇った。
銀色の霧のようにゆらゆら揺れている。
その中心に、丸い石が静かに浮かび上がっていた。
「これが…伝説の光る石…!」
二匹は息を呑んだ。
石の光は月光のように柔らかで、触れれば溶けてしまいそうなほど繊細だった。
ルミナがそっと近づくと、石がふわりと脈打つように輝いた。
その瞬間、ルミナは気づいた。
――これは、道を示す石じゃない。自分の勇気を映す石なんだ。
光はルミナの胸の奥にある「月を追いたい」という衝動、その純粋な願いを照らしているようだった。
ルミナの目に涙が滲んだ。
「チリ、私…分かったよ。月を追うのは、迷ってるからじゃない。自分がどこへ行きたいのか、確かめたかったんだ」
チリは静かにうなずき、そっと隣に座った。
「そして、ぼくは君の帰り道だよ。どこへ行っても、友達は君を見失わない」
二匹は光る石の前でしばらく座り、夜風と月明かりを感じていた。
やがて石の光は薄れ、谷は再び暗闇に戻った。
ルミナはチリと共に群れのもとへ帰っていった。
帰り道は不思議と怖くなかった。
むしろ胸の中が温かく、軽かった。
次の日、ルミナはまた月を見上げた。
追いかけたいという気持ちは相変わらず。
でも、今度は分かっている。
――月を追う道の先には、帰る場所がある。
ルミナは小さく跳ね、夜の山へ駆け出した。
その姿は、月夜に走る小さな光のように、自由で、まぶしく輝いていた。


