風花が舞う十二月の夕暮れ、町の広場ではクリスマスマーケットの準備が進んでいた。
木々には電飾が灯り、赤や金色の屋台が並ぶ。
屋台のひとつに、小さな看板が揺れている——「ホットワイン クララ」。
クララは二十六歳。
祖母から受け継いだレシピをもとに、冬だけ姿を見せるホットワインの店を切り盛りしていた。
夏の間は旅をし、秋に森で採れたハーブやスパイスを集め、冬になるとここへやってくる。
それは祖母が生前に「冬をあたためる魔法だよ」と語っていた大切な習慣だった。
初日の午後、クララは大きな鍋に赤ワインを注ぎ、オレンジの皮、シナモン、クローブ、少しの蜂蜜を落としていた。
湯気とともに甘い香りが立ちのぼり、それだけで周囲の空気がふわりと温かくなるようだった。
鍋をかき混ぜながら、クララはそっと呟いた。
「おばあちゃん、今年もちゃんとつくれるかな?」
祖母は三年前に亡くなった。
最後までホットワインをつくり続け、いつも「味はね、人を想う気持ちで決まるんだよ」と笑っていた。
その言葉を思い出すたび、クララは不安より、少しだけ誇らしい気持ちになるのだった。
やがて、広場に明かりが灯りはじめ、マーケットが正式にオープンした。
風は冷たかったが、訪れる人々の間を漂う甘い香りに惹かれて、クララの店には早速数人が並びはじめた。
「ひとつ、もらえる?」
そう声をかけてきたのは、紺色のコートを着た青年だった。
頬を赤らめ、指先をこすり合わせながら寒さに耐えているようだ。
「はい。今日のは少しオレンジ多めなんですよ」
「へえ、楽しみだな」
クララが紙カップにホットワインを注ぐと、青年は香りを吸い込むようにして微笑んだ。
「……おいしい。体が芯から温まるみたいだ」
「よかったです」
青年は「レオン」と名乗った。毎年この町に仕事で訪れており、マーケットを歩くのが楽しみだという。
そしてその日を境に、毎晩のようにクララの店に顔を出すようになった。
二人はホットワインの鍋のそばで、様々な話をした。
レオンの旅の話、クララの祖母の思い出、スパイスの効かせ方の違い、冬の星座の話。
時折、広場のステージで演奏が始まると、言葉の代わりに湯気の揺れる音だけが耳に残った。
そんなある夜、レオンはふと真剣な表情になった。
「クララは、どうして毎年この店を続けているの?」
「……おばあちゃんとの、約束みたいなものなんです。寒い夜に、誰かの心を温められるお店でいたいって」
レオンはゆっくり頷くと、紙カップを握りしめた。
「きっと、その想いが味になってるんだね。僕、毎晩ここに来るの、楽しみなんだ」
クララの頬に、鍋の湯気とは違う熱が浮かんだ。
マーケットの最終日。
人々は最後の買い物を楽しみ、夜の空に雪が降り始めていた。
クララは今年最後のホットワインを鍋に注ぎ、屋台の灯りの揺らめきを見つめた。
レオンはその夜もやってきた。
けれど、いつもの軽やかさはない。
「明日、町を出ないといけなくて」
「あ……そうなんですね」
二人の間に、冬の夜より静かな時間が流れる。
レオンは深呼吸し、胸ポケットから小さな紙袋を取り出した。
「来年も、ここに来るよ。だから……これ、クララに」
中には、小さな星形のスパイスオーナメントが入っていた。
木彫りでつくられており、ほんのりバニラの香りがする。
「来年、この星を屋台に飾ってくれたら嬉しい。そしたらまた、絶対会える気がするから」
クララは胸が締めつけられるように温かくなりながら、小さく笑った。
「もちろん飾ります。来年も、ここで待っています」
レオンは軽く手を振り、雪の道を歩き去った。
彼の背中が小さくなるまで、クララは見つめ続けた。
そして翌朝。
マーケットの灯りが消えた広場で、クララは片付けをしながら、星形のオーナメントをそっと手のひらに包んだ。
「また来年……あたためられるといいな。誰かの心も、自分の心も」
白い息が上がる空の向こうで、雪が静かに降り続いていた。


