南の島の市場には、いつも香ばしい匂いが漂っていた。
果物の甘い香り、スパイスの刺激的な匂い、そして何より、ローストされたカシューナッツのふくよかな香りだ。
島の少年・レオンは、その香りを胸いっぱいに吸い込みながら、祖母の店を手伝っていた。
祖母は島でいちばんのカシューナッツ職人として知られていた。
小さくて静かな人だったが、カシューナッツを炒るときだけは、まるで魔法を使うように手が軽やかに動き、鍋から香りが立ち上るたびに、店の前には人だかりができた。
「レオン、ナッツはね、急いではダメだよ。焦らず、じっくり火と話をするんだよ」
祖母はいつもそう言う。
レオンはその言葉が好きだったが、自分にはまだ“火と話す”感覚が分からなかった。
祖母のように、鍋を見ただけでローストのタイミングが分かるようになれたら…そんな憧れを胸に、日々手伝いを続けた。
ある日、島の中央広場で「収穫祭」が開かれることになった。
そこで行われる料理大会には、島中の食材が持ち寄られる。
祖母も毎年参加し、カシューナッツを使った特製のお菓子を出品してきた。
しかし今年は、祖母の体調が優れなかった。
「レオン、今年はあんたに出てほしいんだよ」
そう言われたとき、レオンは驚いて鍋を落としそうになった。
「ぼ、僕が? まだうまく炒れないよ」
「大丈夫さ。火と仲良くなろうとする気持ちがあればね」
祖母のやわらかな笑みに、レオンは胸があたたかくなった。
怖かったが、挑戦してみたいと思った。
レオンは毎日、祖母の横でカシューナッツを炒り続けた。
火が強すぎれば苦味が出るし、弱すぎれば香ばしさが足りない。
何度も失敗し、何度も煙にむせた。
“火と話す”なんて、本当にできるのだろうか。
大会の前日、祖母がそっとレオンに一袋のカシューナッツを手渡した。
「特別なナッツさ。昔ね、あんたのおじいさんと一緒に育てた木から採れたものなんだよ。これに助けてもらいな」
その袋はずっしりとして、レオンは胸がきゅっと締め付けられた。
祖母とおじいさんの思い出が詰まっているように感じた。
大会当日、レオンは緊張しながら鍋を火にかけた。
まわりからは島中の自慢料理の匂いが漂ってくる。
彼の前には、祖母から受け取ったカシューナッツが待っていた。
火がぱちぱちと音を立てる。レオンは深呼吸をし、ゆっくりと鍋を揺らした。
すると、不思議なことに、焦げる匂いがする前に、どこかで「そろそろだよ」と囁く声がした気がした。
気のせいかもしれない。
でもレオンはその“感覚”を信じ、火加減を調整した。
香ばしい匂いが花のように広がった。祖母の匂いだ。
レオンの胸に、熱いものがこみ上げた。
出来上がったのは、レオン特製の「ハニーカシューナッツ」。
祖母の味に、自分らしい甘さを少しだけ加えたものだった。
審査員が口に運ぶと、優しく微笑んだ。
「これは、火と会話している味だね」
その言葉に、レオンははっとした。
火と話せた…のだろうか。
結果発表。
レオンの皿は見事、金賞を獲得した。
歓声が上がり、レオンの目には涙がにじんだ。
帰り道、祖母がレオンの肩を軽く叩いた。
「ほらね、あんたにはできると思ってたよ」
レオンは胸いっぱいの香ばしさと、祖母の優しい笑顔を抱きしめるように感じた。
これからも島の風と火と、そしてカシューナッツとともに生きていくのだと強く思った。
南の島に、今日もあたたかい風が吹く。
カシューナッツの木は、その風に揺れながら、レオンの新しい一歩をやさしく祝福していた。


