丘の上のヤギ、ルナ

動物

ルナは、山あいの小さな村のはずれにある丘で暮らしている白いヤギだった。
毛並みはふわふわで、朝露に濡れるたびに光を弾いて輝く。
村の子どもたちは、丘に遊びに来るとき必ずルナに草を差し出して撫でていった。
ルナはそのたびに「メェ」と優しく鳴き、子どもたちの手を舐めては嬉しそうに尻尾を振った。

ルナの飼い主は、年老いた羊飼いのハルじいさんだ。
もう足腰が弱って、羊の群れを追うのは難しくなっていたが、ルナだけは昔から一緒にいた相棒だった。
ハルじいさんは朝と夕方、欠かさずルナの小屋へ行き、「今日も元気か、ルナ」と声をかける。
ルナはその声を聞くと、どんなに遠くにいても駆け寄ってきた。

ある年の冬のこと。
村に雪が深く降り積もり、道は閉ざされ、人も家畜も外に出るのが大変になった。
ハルじいさんは薪を割りながら、「今年は厳しいなぁ」とつぶやいた。
ルナのための干し草も、あと少ししか残っていない。

その夜、吹雪がやってきた。
風が山をうなりながら越え、家の戸を鳴らした。
ルナの小屋も揺れたが、ルナはじっと耐えていた。
小屋のすき間から雪が入り込み、床は冷たく濡れていった。
翌朝、ハルじいさんは雪をかきわけてルナのもとへ向かったが、扉の前で立ち止まった。
雪で扉が開かないのだ。

ハルじいさんは心配で胸が痛んだ。
「ルナ! 大丈夫か、ルナ!」
声は風にかき消される。
それでもルナは小屋の中で鳴いた。
「メェェェ!」——その声に応えるように、じいさんはスコップを振るい、ようやく扉をこじ開けた。

中でルナは雪の上に立っていた。
寒さに震えながらも、しっかりと立ち上がっていた。
ハルじいさんは抱きしめ、涙をこぼした。
「よう頑張ったな、ルナ……」

それから数日後、村の若者たちが丘へ登ってきた。
「吹雪で道がふさがって、山の上の牧草地に取り残された羊がいる」との知らせだった。
ハルじいさんは迷った。
自分の体では行けない。
しかし、ルナは山道を知っている。
若者たちに導き役としてルナを託すことにした。

ルナは首に鈴をつけられ、吹雪のあとを踏みしめながら若者たちを導いた。
雪に覆われた道の下には見えない谷や岩があったが、ルナは慎重に、確かに進んだ。
途中、吹雪の名残で足跡が消えそうになると、ルナは立ち止まり、空気の匂いを嗅ぎ、正しい道を選び直した。

数時間ののち、ようやく山の上の牧草地に着いた。
雪の中で震える羊たちが、ルナの鈴の音を聞きつけて顔を上げた。
若者たちは羊を見つけ、全員を連れて帰ることができた。

村に戻ると、ルナは疲れて足を引きずっていた。
けれど、その瞳は凛として、空を見上げていた。
夕焼けが丘を染め、白い毛に淡いオレンジの光が宿る。
ハルじいさんはルナの首を撫で、「お前は、丘の守り神みたいだな」と笑った。

それからというもの、村では毎年、雪解けの季節に丘の上で「ルナの日」という小さな祭りが開かれるようになった。
子どもたちは花冠を編み、ルナの首にかける。
ルナはその花の香りを楽しむように鼻を鳴らし、丘の風の中でゆっくりと目を閉じる。

やがてルナが年老いて、ある春の朝、静かに息を引き取った。
丘にはルナの鈴の音がいつまでも響いているように思えた。

——それから何年も経ったある日。
丘を訪れた旅人が、不思議そうに言った。
「風の音が、まるでヤギの鈴のようだね」
村の人は微笑んで答える。
「それは、ルナがまだここにいるからですよ」

白い花が風に揺れ、丘の上で小さく鈴が鳴った気がした。