夏の午後、陽射しの粒がガラス越しに降り注ぐアトリエで、由奈は古びたデニムをほどいていた。
母から譲り受けたミシンの音が、リズムを刻むように響く。
トントン、トントン。
机の端には、色あせたジーンズの山。
どれも形も色も違うが、どれも彼女にとっては宝物だった。
由奈はデニムが好きだった。
厚手の布のざらつきも、長く使うほど柔らかくなっていく感触も、何より「時間が見える」ことが好きだった。
擦れた膝、色落ちしたポケットの縁、糸のほつれ——それはすべて、誰かがその服を着て歩いた日々の証だった。
もともと彼女はアパレルメーカーに勤めていた。
だが大量生産と流行の早さに疲れ、二年前に会社を辞めた。
「もっと、人の時間が染み込むような服を作りたい」と思ったのだ。
それからは、古着のデニムを集め、リメイクバッグやエプロン、クッションカバーなどを作って暮らしている。
アトリエのドアが開く音がした。
「こんにちは、また来ちゃいました」
入ってきたのは常連客の高校生、菜々子だった。
手には、裾が破れたデニムパンツを抱えている。
「これ、お気に入りなんです。でも母に『もう捨てなさい』って言われちゃって……」
由奈は笑って受け取った。
「まだまだ直せるよ。ほら、ここを刺し子で補強して、少し布を足せば味になる」
菜々子の顔にぱっと笑顔が広がる。
「いいですね、その考え方」
由奈は針を動かしながら言った。
「服も人と一緒。傷がついても、それが思い出になるんだよ」
その日の夕方、修理を終えたパンツを手渡すと、菜々子は目を輝かせて言った。
「わたしも将来、こんな仕事したいです」
その言葉に、由奈の胸が温かくなった。
夜になり、アトリエには一人きり。
窓の外で蝉の声が遠くなるころ、由奈は机の上のデニムに目を落とした。
そこには、父の形見の作業着があった。
大工だった父は、毎日これを履いて家を建てていた。
木くずと汗の匂いが染み込んでいる。
父が亡くなったとき、母が言った。
「もう古い服なんて、処分しましょう」
けれど由奈はこっそりそれを持ち帰った。
そして今日、ついにその布をほどく決心をしたのだ。
ミシンの針が布を貫く音が、思い出を縫い合わせていくようだった。
小さな端切れを組み合わせ、ひとつのトートバッグに仕立てる。
ポケットの部分をそのまま活かして、糸の色は父が好きだった深い藍にした。
完成したバッグを手に取ると、手のひらに父のぬくもりが戻ってくる気がした。
「お父さん、これでまた一緒に出かけられるね」
そうつぶやいて、そっと頬を寄せる。
翌朝、由奈はそのバッグを肩にかけ、近くの青空市へ向かった。
屋台の間を歩くと、菜々子が友達と一緒に笑っている。
「由奈さん! そのバッグ、すごく素敵です!」
由奈は照れくさそうに笑った。
「ありがとう。ちょっと特別なデニムなんだ」
風が吹いて、デニムの端がふわりと揺れた。
青の濃淡が陽の光を受けてきらめき、まるで過ぎた時間が優しく微笑んでいるようだった。
そのとき、由奈はふと思う。
デニムって、人の人生そのものだ。
すり減って、汚れて、色あせても、それが味になる。
大切なのは、捨てずに手をかけ続けること。
「布も人も、育つんだよね」
そうつぶやきながら、由奈は次の作品に手を伸ばした。
新しい針が青い布を貫く音が、また静かな午後に響いた。
——あの布の青は、今日も誰かの時間を染めていく。


