七月の終わり、陽炎のゆらめく公園に、色とりどりの水ふうせんが並んでいた。
りんご飴のように赤、ラムネ瓶みたいな青、透きとおる緑。
手に取るとひんやりしていて、指の間から水の感触が逃げていく。
小学五年生の陽菜は、しゃがみこんでその一つをじっと見つめていた。
「陽菜、投げないの?」
隣で元気な声を上げたのは、幼なじみの奏汰だった。
彼はもう何個目かの水ふうせんを握りしめ、遠くの友だちに向かって全力で放り投げている。
ぱしゃん、と軽い音がして、水のしぶきが陽に光る。
陽菜は小さく笑った。
「うん、今行く」
けれど、彼女の手の中のふうせんは、投げるには惜しいほどきれいだった。
まるで、小さな夏を手のひらで包みこんでいるように感じられる。
──夏休みが終わったら、奏汰は引っ越してしまう。
それを思うと、どうしても遊びに集中できなかった。
「ほらっ!」
不意に飛んできた水ふうせんが、陽菜の肩ではじけた。
冷たい水が服を濡らす。
「なにするの!」
「ぼーっとしてるから!」奏汰は笑う。
「陽菜、ほっぺに水しぶき、ついてるぞ」
その笑顔がまぶしかった。
陽菜は手の中のふうせんを見下ろした。
風が吹く。
ふうせんの表面が太陽を反射して、虹のようにきらめく。
「ねえ奏汰、これ、どっちが遠くに飛ばせるか勝負しよう」
「いいね! 負けた方がジュース奢りな!」
そう言って、ふたりは並んで立った。
陽菜は深呼吸をして、思いきり腕を振った。
ふうせんは空高く舞い上がり、光をはね返しながら、青空のなかで弾けた。
ぱしゃん、と音がして、細かな水滴が陽光を受けて散った。
まるで夏そのものが空へほどけていくようだった。
──その瞬間、陽菜の胸の奥のざわめきも、一緒に溶けていった。
「陽菜の勝ちだな」
奏汰が笑いながら手を伸ばしてきた。
「ううん、引き分け。だって、ふたりとも気持ちよかったから」
陽菜がそう言うと、奏汰はちょっと照れたように目をそらした。
午後、ふたりは水で濡れた地面に座りこみ、残ったふうせんを並べて乾かしていた。
「ねえ、これ、割らずに残しておこうよ」
「でも、すぐしぼんじゃうぞ」
「いいの。記念にしたいの」
陽菜は小さな赤いふうせんをひとつ選び、持って帰ることにした。
その日の夕方、奏汰は「じゃあ、またな」と言って、軽く手を振った。
陽菜は無理に笑顔を作って、「うん、またね」と返した。
──でも、“また”がいつになるかはわからなかった。
夜、部屋に帰っても、机の上に置いた水ふうせんはまだ冷たかった。
窓から見える花火の音が遠くで響く。
陽菜はふうせんに指でそっと触れた。
「奏汰、元気でね」
そうつぶやくと、ふうせんの表面がかすかに震え、ぷつりと音を立てて弾けた。
水が手のひらを濡らし、少しひやりとした。
でも、不思議と涙は出なかった。
翌朝、太陽が昇ると、陽菜の机の上には小さな水の輪が残っていた。
光を受けてきらめくその跡を見つめながら、陽菜はそっと笑った。
あの空にとけた水ふうせんのように、記憶もやがて形をなくしていくのかもしれない。
けれど、冷たくて、やさしい夏の感触だけは、ずっと心の奥で揺らめいていた。