コーンスープのある午後

食べ物

川島紗英は、子どもの頃からコーンスープが大好きだった。
寒い冬の朝、母が温めてくれた缶入りのスープ。
湯気とともに立ちのぼる甘い香りに、心も体もほっとしたのを今でも覚えている。
大学を卒業し、東京で一人暮らしを始めた今も、コーンスープは彼女にとって小さな救いだった。

仕事を始めて三年。
紗英は広告代理店で企画の仕事をしていた。
忙しい毎日に追われ、心が摩耗することも少なくない。
そんなとき、会社近くのコンビニで紙カップのコーンスープを買い、オフィスの窓辺でひとり飲むのが、彼女の習慣になっていた。
黄色いスープの温もりは、ぎすぎすした心をほどき、「まだやれる」と背中を押してくれるのだ。

ある日の昼休み、同僚の岡田が声をかけてきた。
「川島さんって、いつもコーンスープ飲んでるよね。そんなに好きなの?」
紗英は少し照れながら笑った。
「うん。小さい頃から、これを飲むと落ち着くの」
「へえ。僕はコーヒー派だけど……そういうのっていいね。自分だけの定番って感じ」

それきり岡田は特に何も言わなかったが、翌週、彼が缶のコーンスープを差し出してきた。
「出張のお土産。新潟限定らしいよ」
ラベルには「雪国コーンスープ」と書かれていた。
紗英は思わず笑顔になり、「ありがとう」と受け取った。
こうして、彼女の小さな習慣を誰かが気にかけてくれることが、じんわり嬉しかった。

しかしその冬、紗英は大きな壁にぶつかった。
担当していたキャンペーンが、クライアントの意向で急きょ白紙になったのだ。
徹夜続きで準備してきた数か月が一瞬で崩れ落ち、彼女は深い虚脱感に襲われた。
「私の努力って、何だったんだろう……」
夜のオフィスで机に突っ伏し、涙がにじむ。
いつものようにコンビニでスープを買おうと思ったが、疲れ切って外に出る気力もなかった。

そのとき、机の上にそっと紙コップが置かれた。
振り返ると岡田が立っていた。
「自販機で買ってきた。熱いから気をつけて」
湯気の立つスープを手に取ると、とうもろこしの優しい甘みが鼻をくすぐった。
口に含むと、涙が止まらなくなった。
「……なんか、子どもの頃に戻ったみたい」
紗英はかすれた声で言った。
「じゃあ、きっと大丈夫だよ。川島さんは、ちゃんとまた立ち上がれる」
岡田の言葉は、不思議なほど心に沁みた。

その夜から、紗英にとってコーンスープは単なる「好きな飲み物」ではなくなった。
失敗や挫折に押し潰されそうなとき、誰かの優しさとつながる合図のような存在になったのだ。

春が訪れ、紗英は新しい企画に挑戦していた。
以前よりも肩の力を抜き、周囲と協力しながら進めることができている。
昼休みには岡田と並んでコンビニに行き、それぞれお気に入りの飲み物を手にするのが日課になった。
岡田は相変わらずコーヒーを選び、紗英は迷わずコーンスープを取る。
「ほんとにブレないね」
「だって、これが私の原点だから」
二人は顔を見合わせて笑った。

コーンスープの甘い香りは、紗英にとって人生の小さな灯火だ。
どんなに先が見えなくても、この温かい黄色の一杯があれば、自分はまた歩き出せる。
そう信じながら、彼女は今日も紙コップを両手で抱えている。