山あいの村に、茂吉という男がいた。
茂吉は幼いころから藁が好きでならなかった。
田んぼから刈り取られた稲のにおい、手に触れたときのやわらかさ、束ねたときの頼もしさ。
村の子どもたちが川で魚を追いかけて遊ぶ頃、茂吉はひとり、納屋に積まれた藁の山に潜り込んで遊んでいた。
大人になった茂吉は、農家を継ぐでもなく、村で藁細工を生業とするようになった。
草鞋や縄はもちろん、正月のしめ縄、牛馬にかける敷き藁、そして座布団やむしろまで。
彼の手にかかればどんな藁でも形を変え、役目を持つ。
村人たちは最初こそ「藁なんぞで食っていけるか」と笑っていたが、茂吉の編む草鞋は丈夫で、旅人にも評判となった。
やがて彼の元には遠くの町からも注文が届くようになった。
それでも茂吉は、金を稼ぐためだけに藁を編んでいるわけではなかった。
藁そのものに向き合い、一本一本の繊維を感じながら形を作ることに、彼は幸福を覚えていたのだ。
ある年の秋、村は大きな台風に見舞われた。
稲は倒れ、藁は水に浸かって使いものにならないと誰もが嘆いた。
しかし茂吉は泥まみれになりながら、田んぼに残された藁を集め歩いた。
しっとりと湿ったその束を抱え、彼は納屋に積み上げていった。
「そんな腐った藁、どうにもならん」
村人は呆れたが、茂吉は首を振った。
数か月後、冬の寒さが厳しくなるころ、茂吉は納屋にこもり、湿って色の変わった藁で大きなむしろを編み始めた。
水を含んで乾いた藁はしなやかで、驚くほど強靭だった。
それを織り上げたむしろは厚く、寒さを和らげる優れた品となった。
「台風の藁でできたむしろか」
村人たちは不思議そうに手で触れ、やがて皆が欲しがった。
春になり、村を訪れた行商人がそのむしろを見て驚き、町へと運んだ。
評判は評判を呼び、茂吉の藁細工は「災いを転じて福をなす」と称されるようになった。
だが茂吉は名声を誇ることなく、ただ静かに藁と向き合い続けた。
彼にとって藁は単なる素材ではなく、自然と人をつなぐ大切な媒介だった。
稲が実り、藁となり、人の暮らしを支え、やがて土へと戻る。
その循環に心を寄せることが、茂吉の生きがいだったのだ。
晩年、茂吉は納屋の軒下で孫にこう語った。
「藁はな、弱そうに見えるが、寄り集まれば強い。人の世も同じじゃ。ひとりでは細いが、つながれば大きな力になる」
孫はその言葉を胸に刻んだ。
藁の香りに包まれて育った子どもたちは、茂吉の死後も藁細工を受け継ぎ、村の暮らしを支えた。
今も村の祭りの日、しめ縄や飾りに茂吉の教えを思い出す人がいる。
藁を愛し、藁と共に生きた男の姿は、風に揺れる稲穂の中に確かに息づいているのだった。