陽介は、幼いころから「たらこ」が好きだった。
ご飯の上にのせて食べるときの塩気と旨味、パスタに絡めたときのまろやかさ、焼いたときの香ばしい香り。
どんな形になっても、たらこは彼の心を満たしてくれる特別な存在だった。
小学生のころ、母が朝の弁当に入れてくれるのは、決まってたらこのおにぎりだった。
鮭や梅を選ぶ同級生からは「毎日同じで飽きないの?」とからかわれることもあったが、陽介にとっては誇らしい定番だった。
包みを開いた瞬間に広がる磯の匂いに、彼は一日の元気をもらっていた。
やがて大人になり、ひとり暮らしを始めると、冷蔵庫には必ず明太子やたらこのパックが並ぶようになった。
仕事で疲れた夜、炊きたてのご飯にたらこをのせるだけで、心が落ち着く。
簡単でありながらも、どこか懐かしい温もりを感じさせてくれるからだ。
ある日、会社の同僚たちと食事に出かけたときのこと。
居酒屋のメニューを眺めていた陽介は、自然と「焼きたらこ」に目を奪われた。
気づけば、話題はたらこ料理に及んでいた。
そこで偶然、向かいに座っていた女性・美咲が「私もたらこ、大好きなんです」と笑顔で告げたのだった。
それは、心に赤いひかりが差し込むような瞬間だった。
二人はたらこをきっかけに会話を弾ませ、子どものころに好きだった食べ方や、最近見つけた美味しい専門店の話で盛り上がった。
お互いの好みが不思議なほど重なり合い、気づけば夜が更けても話は尽きなかった。
それから二人は、休日に「たらこ巡り」をするようになった。
デパートの地下で珍しい味付けを探したり、海沿いの町まで足を運び、名産のたらこをお土産に買ったり。
旅行先でも必ず「ご当地のたらこ」を探すのが習慣になった。
たらこが、二人を結ぶ目に見えない赤い糸のように感じられた。
しかし、ある冬のこと。
美咲が体調を崩し、入院することになった。
病室に駆けつけた陽介に、彼女は「しばらく塩分を控えないといけないの」と寂しそうに告げた。
大好きなたらこを口にできない辛さに、彼女は少し元気を失っていた。
陽介は考えた。たらこをそのまま渡すことはできない。
でも、自分にできることはあるはずだと。
彼は料理の本を開き、減塩の工夫を凝らしたたらこ料理に挑戦した。
昆布や柑橘を使って塩気を抑えつつ風味を残す方法を学び、何度も試作を重ねた。
数日後、彼は病室に小さな弁当箱を持って訪れた。
中には、ご飯に軽く和えた「減塩たらこ和え」が入っていた。
美咲は恐る恐る一口食べると、目を丸くして微笑んだ。
「ちゃんと、たらこの味がする……優しい味」
その瞬間、陽介の胸に温かいものが広がった。
たらこは、ただ美味しいだけではなく、人を支え、寄り添う力を持っているのだと気づいたのだった。
退院後も、二人は「工夫したたらこ料理」を一緒に作るようになった。
健康を意識しながらも、味わいの深さを追求する。
たらこは、二人にとって単なる食材ではなく、心を結ぶ大切な存在に変わっていった。
やがて季節が巡り、桜が満開の春。
二人は海の見える公園で小さな弁当を広げた。
中には、いつものたらこおにぎりが入っている。
海風に吹かれながら食べるその味は、子どものころの思い出とも、出会った日の喜びとも重なり合う。
陽介はふと、美咲に笑いかけた。
「これからも、ずっと一緒に、たらこを食べていこう」
美咲は頷き、頬を赤らめながら「もちろん」と答えた。
二人を結んだのは、あの赤い粒のひかりだった。たらこの温もりと共に、彼らの物語はこれからも続いていく。