小さな庭の片隅に、毎年必ず赤く実るものがある。
美咲が育てるミニトマトだ。
春先に苗を買って植え付け、初夏には青い実が膨らみはじめ、夏の日差しをたっぷり浴びて、やがて赤く弾けるように色づく。
その瞬間がたまらなく好きで、美咲は毎朝の水やりを欠かさない。
彼女がミニトマトを特別に好きになったのは、小学生のころの思い出がきっかけだった。
共働きで忙しい両親に代わり、祖母がよく世話をしてくれた。
夏になると、祖母は庭で育てたミニトマトを小皿に盛り、冷蔵庫で冷やしておいてくれる。
帰宅すると「おかえり」と笑いながら差し出してくれるそれは、甘酸っぱくて、噛むたびにじゅっと果汁が広がり、疲れを吹き飛ばしてくれる宝物のようだった。
祖母が亡くなったあとも、美咲はその味を忘れられなかった。
受験や就職で忙しくても、ベランダのプランターに小さな苗を植え、真っ赤な実を口に運ぶたびに、あの笑顔と「おかえり」の声を思い出すのだった。
社会人三年目、美咲は営業職に就き、数字に追われる日々を送っていた。
クレーム対応で胃が痛むこともある。
それでも帰宅してベランダに出ると、夕焼けに照らされたミニトマトが並んでいる。
摘み取って口に入れると、祖母の温もりが蘇り、不思議と心がほぐれるのだった。
ある夏の夜、会社の同僚の健太が、飲み会の帰りにふと美咲の家に寄った。
酔いで赤らんだ顔でベランダを覗き、「お、トマト育ててるのか」と笑う。
美咲が少し照れながら実を差し出すと、健太は「甘いな」と驚いた顔をした。
その反応がうれしくて、美咲はつい祖母の話を語り始めた。
普段は仕事の話ばかりで、プライベートを打ち明けることはほとんどなかったのに、ミニトマトをきっかけに心の奥の思いを話せた。
「いい話だな。来年は一緒に苗を植えようか」
健太のその言葉に、美咲の胸はふわりと温かくなった。
小さな赤い実が、人と人をつなぐ力を持っているのだと初めて気づいた瞬間だった。
翌年の春、二人は一緒に園芸店へ行き、苗を選んだ。
健太は不器用に土をいじり、美咲は笑いながら植え方を教えた。
夏になると、二人のベランダには鈴なりの赤い実が輝き、夕暮れ時に二人で収穫しては冷蔵庫で冷やして食べるのが習慣になった。
「これ、ほんとにうまいな。市販のより甘い」
そう言って頬張る健太の横顔を見ながら、美咲は心の中で祖母に語りかける。
――おばあちゃん、私、大切な人と一緒にミニトマトを食べてるよ。
やがて二人は結婚し、新しい生活を始めた。
どんなに忙しくても、ベランダには必ずミニトマトの鉢がある。
赤い実は、祖母との記憶であり、日々を彩る小さな灯火であり、未来をともに歩む約束のしるしでもあった。
ミニトマトを口に含むたび、美咲は思う。
甘酸っぱさの奥に、懐かしい夏の日と、これから続いていく温かな日々が確かに詰まっているのだと。