小さな町の雑貨屋の棚の隅に、一つの古びたブリキの貯金箱が置かれていた。
色は少しくすみ、表面には細かな傷がついている。
それでも、丸い体に描かれた赤と青の模様は、どこか懐かしい温もりを感じさせた。
その貯金箱は、何十年も前に作られたものだった。
子どもが硬貨を入れるたびに「カラン」と澄んだ音を響かせるのが自慢だった。
ある時代には、少年の夢を、またある時代には少女の願いを飲み込んできた。
しかし年月が流れ、持ち主の手を離れ、やがて店の隅で誰にも見向きされずに過ごしていたのだ。
そんなある日、小学三年生の健太が母親と一緒に雑貨屋に立ち寄った。
健太はゲームやお菓子に目を輝かせる年頃だが、その日、ふと棚の奥にあるブリキの貯金箱に目を止めた。
「これ、欲しい!」
母親は少し驚いた顔をした。
古びた玩具より新しいものを選ぶと思っていたからだ。
しかし健太はどうしても気になった。
理由はうまく言葉にできない。
ただ、丸い体に描かれた模様が、まるで笑っているように見えたのだ。
家に持ち帰ったその晩、健太は机の上に貯金箱を置いた。
父からもらった百円玉を一枚入れると、「カラン」と心地よい音が響く。
その瞬間、貯金箱は胸の奥で微かに温かさを覚えた。
久しぶりに夢を預かったのだ。
最初はゲームソフトを買うためにと健太はお金を貯め始めた。
けれど毎日硬貨を入れるうちに、音を聞くのが楽しくなり、次第に入れること自体が目的になっていった。
お小遣いの中から少しずつ、拾った一円玉までも入れる。
健太は貯金箱に「カラン坊」と名前をつけ、毎晩「おやすみ」と声をかけるようになった。
やがて夏休み、町に大きな台風がやって来た。
川が氾濫し、近所の商店の一部が被害を受けた。
雑貨屋のおばあさんの店も浸水し、大切な商品が壊れてしまった。
健太は母と一緒に片付けを手伝いに行ったが、その光景に胸が締めつけられるようだった。
その夜、健太は机の上の「カラン坊」をじっと見つめた。
中には数千円ほど入っている。
ゲームを買うにはまだ足りないが、雑貨屋のおばあさんの役には立つかもしれない。
悩んだ末、健太は決心した。
翌日、母と一緒に店を訪ね、貯金箱を差し出したのだ。
「これ、ぼくのお金です。お店を直すのに使ってください」
おばあさんは驚き、そして涙を浮かべて笑った。
「ありがとう。あなたの気持ちが何よりの宝物だよ」と言って、健太の頭をやさしく撫でた。
貯金箱は胸いっぱいに誇らしさを感じた。
硬貨の音も嬉しいが、それが人を助けるために使われることは、もっと素晴らしいことだったのだ。
それから年月が経ち、健太は成長していった。
勉強に部活動に忙しくなる中でも、机の片隅にはいつも「カラン坊」が置かれていた。
お金を入れることは少なくなっても、見るたびにあの夏の日の記憶を思い出す。
――お金はただの道具。
でも、誰かのために使うとき、それは大きな力になる。
そして社会人になった健太は、貯金箱をそっと自分の子どもに渡した。
「これに夢を入れてごらん」と言って。
小さな手で百円玉を落としたとき、「カラン坊」は再び澄んだ音を響かせた。
その音は、過去から未来へ受け継がれる小さな願いの音だった。