健一がツタに惹かれるようになったのは、小学生の頃に祖母の家を訪れたときのことだった。
古びた洋館風の家の外壁を覆うように伸びていたツタは、夏には濃い緑で家を涼しく包み、秋には赤や黄へと色づき、季節の移ろいをまるごと映し出していた。
祖母はよく言った。
「ツタはね、家と一緒に生きているのよ。時々手をかけてやらないと暴れるけれど、それもまた命の証なの」。
その言葉が、少年の心に強く刻まれた。
成長するにつれ、健一は自然や植物への興味を深め、大学では造園を学んだ。
街路樹や庭園の設計を志す仲間の中で、彼だけは「壁面緑化」に強いこだわりを持ち続けていた。
彼にとってツタは単なる装飾ではなく、生き物と建物とを繋ぐ橋渡しのように感じられたのだ。
就職後、彼はビルの外装をデザインする部署に配属された。
ガラスと鉄に囲まれた都会の真ん中で、彼はふと祖母の家を思い出すことがあった。
どれだけ冷たい素材で作られた建物も、ツタに覆われれば呼吸を始める。
そこに住む人も、通りを行く人も、自然の優しさを感じ取れるのではないか。
だが現実は甘くなかった。
上司からは「ツタは管理が難しい。根が強すぎて壁を痛めるし、虫も呼ぶ」と言われ、企画は却下され続けた。
それでも健一は諦めず、休みの日には古い町並みを歩き、ツタが絡まる家や倉庫をスケッチして回った。
そんなある日、彼はふと立ち寄った喫茶店で、古いレンガ造りの建物に目を奪われた。
壁一面にツタが広がり、季節の初夏を告げる鮮やかな緑が揺れていた。
店の前にいた女性が声をかけてきた。
「このツタ、気になるんですか?」。
彼女は店主の娘、遥だった。
二人はすぐに打ち解けた。
遥は父から店を継ぐ準備をしており、ツタの世話も幼い頃から続けているという。
彼女の指先はツタの葉をそっと撫で、言葉の代わりに植物と会話しているようだった。
その姿に、健一は祖母を思い出し、不思議な安心感を覚えた。
やがて健一は、店の壁面を活かした新しい緑化プランを提案するようになった。
ツタの成長を制御するための剪定方法、外壁を傷めない支柱の設置、四季を彩る草花との組み合わせ。
遥も協力し、二人は休日ごとに作業に励んだ。
汗をかき、手を土で汚しながら、少しずつ景観は変わっていった。
夏には濃い緑が涼を呼び、秋には黄金色のカーテンが喫茶店を包み込んだ。
冬には葉を落とした枝のシルエットが、どこか静謐な美を生み出した。
やがて常連客たちは「ツタの喫茶店」と呼ぶようになり、通りの象徴となっていった。
健一は、自分が求めてきたものをようやく形にできた気がした。
ビルやマンションでは叶わなかった「人と建物と自然の調和」が、この小さな喫茶店に宿っていたのだ。
ある日、遥が言った。
「ツタって、ただ建物に絡みついているように見えるけど、本当は守っているんだと思う。夏は日差しから、冬は風から。まるで家族みたいに」。
健一は頷いた。
彼にとってツタは、祖母や過去の記憶を繋ぐものでもあった。
そして今は、遥との未来をも結びつける存在になっていた。
数年後、健一と遥は結婚し、喫茶店を共に切り盛りするようになった。
ツタは年を重ねるごとに枝を伸ばし、店も二人の生活も包み込んでいった。
春先、若葉が芽吹くたびに、健一は祖母の声を思い出す。
――ツタは家と一緒に生きているのよ。
その言葉は、今や彼自身の信条となっていた。
ツタに見守られながら、人も家も、そして愛も成長していくのだと。