夏の風鈴坂

面白い

六月の終わり、蝉の声がちらほらと聞こえ始める頃、海斗は祖母の家がある小さな町へとやってきた。
山と川に囲まれたその町は、都会のような賑やかさはないけれど、夏になると特別な輝きを放つ。
駅に降り立った瞬間、むっとするような湿気と熱気に包まれる。
じっとりと背中に汗がにじむのを感じながらも、海斗は胸の奥で懐かしさがふくらんでいくのを覚えた。

祖母の家へ向かう坂道には、毎年この季節になると色とりどりの風鈴が吊るされる。
町の人々が持ち寄って並べる「風鈴坂」の催しは、子どもから大人まで楽しみにしている夏の風物詩だった。
坂を登るたびに、風が吹き抜けるたびに、透明な音色が幾重にも重なり合い、耳に涼しさを届けてくれる。
真夏の太陽の下で汗をかきながらも、その音を聞いていると、不思議と心が軽くなるのだ。

「海斗、久しぶりだねえ」
祖母が笑顔で迎えてくれる。
白髪をきれいにまとめ、浴衣姿の彼女は、まるで坂の風鈴たちと同じように夏を飾っているかのようだった。
縁側に座り、スイカを切ってもらいながら、海斗は久しぶりに長い休みを田舎で過ごせる喜びをかみしめた。
パリンと割ったスイカの赤がまぶしく、口に含むと甘さと水分が一気に広がる。
種を飛ばして笑う祖母の顔を見て、都会で忙しく過ごしてきた日々が遠くに感じられた。

その夜、町では盆踊りの準備が進められていた。
屋台が並び、焼きそばやかき氷の香りが漂う。
提灯の明かりが川面に映り、風鈴の音と混じり合いながら、まるで町全体が夢の中にいるようだった。
海斗は、同じ町に住む幼なじみの結衣と再会した。
彼女は浴衣姿で、子どもの頃と変わらぬ笑顔を浮かべている。
「覚えてる? 小学生のとき、風鈴に願い事を書いた紙を結んだこと」
結衣が笑いながら言う。
海斗はうっすらと記憶を呼び起こす。
確か、風鈴に「サッカー選手になりたい」と書いたことがあった。
結衣は「大きな家に住みたい」と書いていた気がする。
「叶った?」と尋ねると、彼女は首を振り、「まだ。でも、夢を追いかけるのって、なんか夏っぽいよね」と答えた。

その言葉に、海斗は胸の奥が熱くなるのを感じた。
都会での生活に追われ、自分が何を望んでいたのか、忘れかけていたのかもしれない。
けれど、この町に帰ってきて、風鈴の音や夏の空気に包まれると、また新しい何かを始められるような気がする。

夜が更けると、川辺で花火大会が始まった。
大輪の光が夜空に咲き、どんと響く音が胸にまで伝わってくる。
結衣が小さく歓声をあげる横顔を見て、海斗は何か言いたくなったが、言葉にはできなかった。
ただ、風鈴坂の音色と花火の輝きが、その沈黙を優しく包み込んでくれた。

夏は、いつか必ず終わってしまう。
けれど、この町で過ごすひとときが心に刻まれれば、どこへ行っても思い出せる。
祖母の笑顔も、結衣との再会も、風鈴の音も――それらすべてが、海斗にとっての「夏」になっていく。

翌朝、蝉の声で目を覚ました海斗は、窓の外にそよぐ風鈴を見つめた。
澄んだ音が小さく鳴り響き、夏の始まりを告げていた。
「また来よう」
そう心の中でつぶやきながら、海斗は深呼吸をした。
夏の匂いが肺いっぱいに広がり、未来への小さな希望が芽生えていくのを確かに感じた。