八月の夜、町の灯りが届かない丘の上に、彩夏は毛布を敷いて寝転がっていた。
昼間は蝉がうるさいほど鳴いていたが、今は虫の声と遠くの川のせせらぎだけが耳に届く。
頭上には、満天の星。
空気が澄んでいるせいか、手を伸ばせばつかめそうなほど輝いていた。
「今年も来たね、ここ」
隣で声をかけたのは、幼なじみの悠斗だった。
彼は麦わら帽子を外し、腕を枕にして空を見上げる。
二人がこの丘で流星群を見始めたのは、小学校の頃だ。
あの頃は、ただ星が流れるたびに「お願い事を三回唱えると叶う」と無邪気に信じ、笑い合っていた。
だが、去年は来られなかった。
悠斗が東京の大学へ行き、彩夏は地元で就職した。
生活のリズムも、見ている景色も違う。
連絡は取り合っていたが、会うのは一年ぶりだった。
「…そういえば、あの約束覚えてる?」
悠斗が少し照れくさそうに呟いた。
「約束?」
「流れ星を見たら、一緒に夢を叶えるってやつ」
彩夏は一瞬考え、ああ、と笑った。
小学五年生の夏、二人は同じ夢を口にしていた。
――世界中を旅する写真家になること。
彩夏は風景を撮りたいと言い、悠斗は人々の表情を撮りたいと語った。
小さなカメラを持って走り回っていたあの日の自分たちが、急に鮮やかによみがえる。
「そんなの…すっかり忘れてたよ」
「俺は覚えてた」
悠斗は星空を見たまま、ぽつりと言った。
「叶えるのは、まだこれからでも遅くないだろ?」
その言葉に、彩夏は胸の奥がじんわりと熱くなった。
東京に行ってしまった悠斗と、自分はもう違う道を歩いていると思っていた。
それでも、同じ夢の話をしてくれる彼に、救われるような気持ちになる。
そのとき、ひときわ明るい光が夜空を横切った。
流れ星だ。
尾を引きながら、あっという間に消えていく。
「ほら!願い事!」
彩夏は慌てて目を閉じ、心の中で唱えた――どうか、来年もまたこの丘で、あなたと星を見られますように。
流星群は次々と現れ、丘を淡い興奮で包み込む。
ふと彩夏が横を見ると、悠斗は小さなノートを取り出していた。
「これ、見せたことあったっけ?」
ページを開くと、見覚えのある景色や人々の写真が貼られていた。
どれも悠斗が撮ったものだ。
東京の路地、海外旅行先の海辺、知らない街の祭り。
写真の横には短い言葉が添えられている。
最後のページには、丘で撮った二人の後ろ姿の写真があった。
日付は三年前の夏。
「次のページ、空けてあるんだ。今年の写真を貼る場所」
悠斗はカメラを構え、笑った。
「はい、こっち見て」
シャッター音が静かな夜に響く。
彩夏はその瞬間、胸の奥で何かが確かに繋がった気がした。
星は流れ続ける。
時間は少しずつ過ぎていく。
「彩夏」
悠斗の声は、虫の音の合間にすっと入ってきた。
「今度、一緒に行かないか。海外。写真撮りに」
「え…」
驚きと嬉しさが入り混じる。
だけどすぐに、不安がよぎった。
仕事、家族、生活――簡単に決められることじゃない。
「急には無理かもしれない。でも、来年の流星群までに決めてほしい。俺、本気であの約束叶えたい」
その瞳は、子どもの頃と変わらないまっすぐさで彩夏を見つめていた。
夜が深まり、星が少しずつ減っていく。
帰り道、彩夏は振り返って空を見た。
もう流れ星は見えなかったが、胸の奥に光が残っているようだった。
――来年もまた、あの丘で。
その時、どんな答えを出せるだろう。
彩夏は小さく息を吸い、足を前に踏み出した。