古川日和(ふるかわひより)がオムライスに恋をしたのは、小学二年生の夏だった。
母が作ってくれた、ふんわりたまごに包まれたチキンライス。
その上に描かれた不器用なケチャップのスマイルマーク。
それが、どんな高級レストランの料理よりも、彼女の心を満たした。
「この味を、ずっと覚えていたい」
それから日和は、たまご料理の虜になった。
料理本を読み漁り、毎日のようにオムライスを作った。
ときにトマトソース、ときにデミグラス、あるいは和風あんかけ。
中のライスもバターライス、ガーリックライス、雑穀ご飯……と試行錯誤を重ねた。
大学では栄養学を学び、卒業後はカフェや洋食店で修行を積んだ。
でも、どれだけ経験を重ねても、心のどこかが満たされなかった。
「いつか、自分の店を出す。オムライスだけの専門店を」
夢は口にすればするほど、現実から遠ざかるように思えて、誰にも言えなかった。
けれどある日、働いていた洋食店のシェフがふと漏らした。
「オムライスなんて、所詮子ども向けの料理だよ。メニューにあっても頼むのは学生くらいだ」
その瞬間、日和の中の何かがはじけた。
「そんなこと、ない!」
彼女は決意した。
誰になんと言われようと、自分の「好き」を信じたい。
たとえそれが、誰かにとっては幼稚で、地味で、価値がないものだったとしても——。
28歳の春、日和は会社を辞め、思い切って貯金をはたいて小さな物件を借りた。
駅から少し離れた裏通り、築40年の元喫茶店。
壁紙は剥がれ、床もきしんでいたが、彼女には宝物に見えた。
ひとつひとつ手を入れ、自分の理想の空間をつくっていった。
カウンター6席、テーブル2つの小さな店。
それでも、心を込めたオムライスを出すには十分だった。
店の名前は「たまご色のしあわせ」。
母がいつも言っていた言葉だった。
「日和が笑ってると、まるでたまご色のしあわせがそこにあるみたい」
開店初日、不安と緊張で手が震えた。
最初に入ってきたのは、近所の年配のご婦人だった。
「オムライスだけって、珍しいわね。懐かしくて、入ってきちゃった」
その人は「昔ながらのケチャップオムライス」を注文した。
ふんわりとろとろのたまごに、バターで炒めたチキンライス。
ケチャップをくるりと回しかけて、仕上げに小さなパセリを。
「……これね、若い頃に母が作ってくれた味に似てるわ」
目を潤ませてそう言ったその人の姿に、日和は胸がいっぱいになった。
それから、少しずつお客さんが増えていった。
デミグラスソースの大人味を好むサラリーマン、週末に必ずやってくるオムライス好きの女子高生、アレルギー対応の特別メニューを喜んでくれる親子連れ——。
オムライスには、人の記憶をそっと呼び起こす力がある。
あたたかさ、なつかしさ、やさしさ——。
やがてSNSで話題になり、「オムライス専門店」としてメディアにも取り上げられるようになった。
店は忙しくなったが、日和の手はいつも丁寧だった。
ひと皿ひと皿、その人の記憶に寄り添うように。
ある日、ひとりの青年がふらりと店に入ってきた。
「ここ……母さんが好きだった店だと思う」
彼は少し前に亡くなったという母の話をしてくれた。
日和の記憶にも、その女性のやさしい笑顔がよみがえった。
「オムライス、よく作ってもらってたんです。最後に食べたのも、たしか……ここのオムライスだったかもしれません」
日和は、いつものようにふんわりたまごを巻いた。
「お母さまの、好きだった味をお作りしますね」
青年は静かにうなずいた。
食べ終わったあと、彼は小さく「ありがとう」と言った。
日和は思った。
この店をつくって、よかったと。
オムライスは、ただの料理ではない。
人の記憶や心を、そっと包み込む、やさしい魔法だ。
今日も「たまご色のしあわせ」には、たくさんの思い出と笑顔が集まってくる。
そして日和は、あの日の自分にそっと伝える。
「好き、はきっと、誰かのしあわせに変わるよ」——と。