昔ながらの商店街の一角に、小さな工房「まるや食品模型店」はひっそりと佇んでいた。
そこでは、店主の原田慎一(はらだしんいち)が一人、食品サンプルを作り続けている。
慎一は子どもの頃から、なぜか「偽物」が好きだった。
プラスチックの果物、精巧なミニチュア、そして喫茶店のウィンドウに並ぶ、つやつやのナポリタンやプリンアラモード。
小さなころに祖母に連れられて訪れたデパートのレストラン街で、初めて見たショーケースのパフェに目を奪われたあの日――「これ、食べられないんだよ」と笑った祖母の声が、今でも耳に残っている。
高校を出てすぐに、当時全国的に名を馳せた東京の食品模型会社に弟子入りした。
地味な世界だが、技術と根気がものを言う。
慎一はすぐにその腕を買われたが、会社が機械化と大量生産に舵を切った頃、ひっそりと辞表を出した。
「本物そっくりの“美味しさ”を、一つひとつに込めたいんです」
そうして地元に戻り、小さな店を開いたのが十年前。
注文は多くない。
けれど、近所の定食屋や古くからある蕎麦屋、あるいは町外れの洋食屋など、決して表舞台には出ないけれど、大切にされている店から細々と依頼が届く。
ある日、ふらりと若い女性が店を訪ねてきた。
小柄で、少し緊張しているような面持ち。
「……祖父の店なんですが、閉める前に、思い出として食品サンプルを作っていただけないかと思って」
彼女が差し出したのは、色あせたメニューと、懐かしそうに微笑む祖父の写真。
店は三十年も続いたラーメン屋で、名物は「味噌バターコーンラーメン」だったという。
「コーンの一粒ずつ、ちゃんと再現してもらえますか?」
その願いに、慎一は静かに頷いた。
製作には十日かかった。
バターのとろけ具合、湯気を感じさせるスープの表面、ちぢれ麺の一本一本。
そして、コーンの粒を一粒ずつ手で成形し、微妙な色の違いまでつけた。
完成品を受け取った彼女は、目を潤ませながらこう言った。
「これ、見せたら、祖父、泣いちゃいます」
慎一はただ微笑み、深く一礼した。
夜、誰もいない工房で、慎一は次の注文に向き合っていた。
手の中にあるのは、小さなエビフライの原型。
尻尾の赤さ、衣のサクサク感、そして添えられたタルタルソースの質感――それらを、手作業で“美味しそうに”していく。
彼にとって食品サンプルとは、ただの飾りではない。
「記憶の味」や「ぬくもり」を封じ込めた、“静かなる芸術”なのだ。
ショーケースの向こうで、誰かが微笑む顔を想像しながら、今日もまた、慎一の手は黙々と動き続ける。