のり塩の記憶

食べ物

風間紘一(かざまこういち)は、小さな町工場に勤める四十五歳の独身男だ。
朝は七時半に起き、八時には駅前のコンビニで缶コーヒーと菓子パン、そして必ず「のり塩味」のポテトチップスを買うのが習慣だった。
誰に強制されたわけでもない。
ただそれが、彼の「心を落ち着かせる儀式」のようになっていた。

仕事は地味で、アルミの加工品をひたすら研磨する日々。
黙々と機械を操り、昼には弁当と缶のお茶、そして朝買ったのり塩チップスをひとり、静かに食べる。
それが紘一の“日常”だった。

ある日、いつものコンビニで、のり塩チップスが棚にないことに気づいた。

「すみません、のり塩って今日入ってます?」

若い店員は首を傾げた。
「ああ、それ…メーカーのほうで一時出荷停止らしいんですよ」

一瞬、紘一の中にぽっかりと穴が空いた。
まるで、毎日使っていた道具が突然壊れたような、頼りどころを失ったような感覚。

代わりにしょうゆ味やバターしょうゆを買ってみたが、どれもしっくりこない。
昼休みに封を切っても、手が止まり、気持ちも浮かない。

「こんなに、のり塩って…自分の中で大きかったんだな」

そう思ったとき、ふと昔のことを思い出した。

――小学生の頃、父とよく行った釣りの帰り道。
道の駅で買ったポテトチップスが、たしかのり塩味だった。
青のりの香りが鼻をくすぐり、塩気が日焼けした肌にしみるほどおいしかった。
父は無口な人だったけど、「うまいな」と一言つぶやき、ふたりで黙って一袋を食べきった。

それが、父との数少ない思い出のひとつ。

その父は五年前に他界した。
葬儀のときも、あのときのように泣けなかった。
ただ、今になってその小さな記憶が、紘一の中で静かに光っている。

「あの時間が、俺の“味覚”を決めたのかもしれないな」

週末、紘一は久しぶりに実家に帰った。
今は空き家になった古い家。
台所の戸棚を開けると、埃まみれの急須やおちょこ、そして缶詰のストックが並んでいた。
その奥に、小さなビニール袋に入った、昔ながらのポテトチップスが見えた。

賞味期限はとうに切れていたが、パッケージは、あの頃のまま。
「のり塩」と、太い文字がやけた色で書かれていた。

持ち帰っても食べはしなかった。
ただ、部屋の机の上に置いた。
それだけで、何かが満たされるような気がした。

数日後、ネットで「のり塩味 自作」と検索した。
意外にも、作り方はシンプルだった。
じゃがいもをスライスして揚げ、塩と青のりをまぶすだけ。

日曜日、初めて自分でのり塩チップスを作った。
部屋中に油と青のりの香りが広がる。
ひとくち食べた瞬間、目の奥が熱くなった。

「ああ、これだよ…」

懐かしいのは味だけじゃない。
父との時間、夏の日差し、静かな帰り道。
そうした記憶が、塩と海苔の香りの中に息づいていた。

それからというもの、紘一は月に一度、自分でのり塩チップスを作るようになった。
工場の同僚に分けたり、たまにレシピを教えたりもした。
「のり塩って、こんなに味わい深かったっけ?」と驚く人たちの顔を見ると、少しだけ心が軽くなった。

何気ない味の奥には、誰にも言わない物語がある。

そして、紘一にとってそれは、「父との静かな時間」だった。

のり塩の香りが漂うとき、彼は今もあの夏の日の帰り道を、そっと思い出すのだった。