白いナスと願いの種

食べ物

山あいの小さな村に、「白いナス」が育つ畑があった。
栽培しているのは、七十を越えた農家の女性・ふさこ。
ふさこが育てるナスは、まるで雪のように白く、つややかで、見た目はまるで野菜とは思えないほど美しかった。

白いナスには、ある言い伝えがあった。

「白いナスを贈られた者は、一生の願いが叶う」

この話を聞いた人々は、そのナスを一目見ようとふさこの畑を訪れたが、ふさこは誰にでもナスを売るわけではなかった。
病を患った子ども、人生に疲れた旅人、もう一度誰かと向き合いたいと願う人……そういう“何かを必要としている人”にだけ、彼女はナスを手渡した。

ふさこは夫に先立たれてからずっと一人だった。
子どももいなかったが、村の人たちにとっては、彼女は「畑のおばあちゃん」として慕われていた。

ある年の夏、都会から一人の青年がやって来た。
名は直哉。
東京の広告代理店で働いていたが、心身ともに限界を迎え、何もかもから逃げ出すようにこの村にたどり着いたという。

直哉は、最初は村のベンチでぼんやりと座っていた。
しかし、ふさこの畑の白いナスを見たとたん、思わず声をあげた。

「……これ、本物ですか?」

ふさこは笑って頷いた。

「触ってごらん、ただのナスだよ。でも、心が疲れてる人には、とても美味しく感じるんだよ」

直哉はしばらくそのナスを見つめていた。
まるで氷の彫刻のように静かで、美しく、どこか慰められるような白さだった。

「ひとつ、もらえますか」と彼が尋ねると、ふさこは黙ってナスを一本、新聞紙に包んで手渡した。

その夜、直哉は村の宿でそのナスを焼いて食べた。
味は驚くほどまろやかで、苦味もない。
ただ、食べ終わるころには、涙が止まらなくなっていた。
理由は分からなかった。
ただ、体の奥底に染み込むような何かがあった。

翌朝、彼はふさこの畑へ行った。

「もう一本、もらえませんか」

「残念だけど、あれは一人一本だけ。願いが一つ叶う分だけだからね」

直哉は驚いた。

「願い……僕、何も願ってなかったですよ」

ふさこは柔らかく笑った。

「願いってのはね、気づかないうちに、心の底でずっと叫んでるものさ。あんた、昨日泣いたろ? その涙の中に、ちゃんと願いがあったんだよ」

その後、直哉は村にしばらく滞在し、ふさこの畑を手伝うようになった。
東京に戻る前、彼はふさこに頭を下げた。

「僕、自分が何に疲れていたのか分かった気がします。自分のために何もしてこなかったって」

ふさこは黙って頷いた。

「また来な。白いナスは、来年も育つよ。でも今度は、自分で種をまいてみな」

直哉はその言葉を胸に刻み、東京に戻っていった。

数年後、ふさこは亡くなった。
しかし、彼女の畑は、誰かの手によって守られ続けた。
そこには、白いナスが今でも静かに実っている。

ある日、その畑に、小さな女の子を連れた若い父親が訪れた。
父親の名は直哉。
娘の名は「ふゆ」。

「ふゆ、このナスはね、願いを叶えてくれるんだよ。昔、パパが元気をなくしたとき、あるおばあちゃんがくれたんだ」

娘は目を輝かせてナスを見つめた。

「パパは、何を願ったの?」

直哉は娘の手を握り、にっこりと笑った。

「ふゆに会いたいって、願ったんだよ」

白いナスは、その日も静かに風に揺れていた。