その日、小さなケージの中に暮らしていたモルモットのチモシーは、いつもと違う風の匂いを感じた。
ケージの扉がほんの少しだけ開いていたのだ。
飼い主のリナが掃除中にうっかり閉め忘れたらしい。
「これは、チャンス……!」
チモシーの胸が高鳴った。
外の世界には、どんな草が生えていて、どんな音がして、どんな冒険が待っているのか。
ずっと夢見ていたその世界が、目の前に広がろうとしていた。
チモシーはそっとケージから抜け出し、床に降りた。
人間の家はまるで巨大な迷路だった。
ソファの下をくぐり、台所の棚の隙間を通り抜け、ついに玄関のドアの隙間から外へと出た。
初めて踏み出す庭の土の感触。
鼻をくすぐる草と花の香り。
チモシーは小さな足で草むらを駆け回った。
「世界って、こんなに広いんだ!」
しかし、冒険は甘くなかった。
突然、黒い影が現れた。
カラスだ!
「やばい……!」
チモシーは全速力で植木鉢の陰に飛び込んだ。
カラスはしばらく上空を旋回したが、やがて興味を失ったように飛び去った。
「外の世界には、危険もあるんだな……」
心臓がドキドキと音を立てる中、チモシーは決意を新たにした。
彼には、ひとつだけ果たしたい約束があったのだ。
それは、仲間のモルモット、ミミとの約束。
まだペットショップにいた頃、同じケージで寄り添って暮らしていた。
ある日、ミミが先に誰かに引き取られた。
別れ際、彼女は言った。
「いつか外の世界で会おうね、チモシー。」
それが、彼の冒険の理由だった。
チモシーは公園へと向かった。
子どもたちの声、鳩の群れ、そしてたくさんの草。
草の陰に身を隠しながら彼は聞き耳を立てた。
どこかにミミの匂いがしないか、声がしないか。
そのとき、小さな声が聞こえた。「……チモシー?」
驚いて振り返ると、そこには見覚えのある白い毛並みと、ピンクの鼻――ミミだった!
二匹は駆け寄り、鼻先をくっつけた。
ミミは近くの小さな保育園で飼われていたらしく、今日はたまたま園児たちと外に散歩に来ていたのだという。
「会いたかった……本当に!」とチモシー。
「私も!でも、どうやってここまで来たの?」とミミ。
「冒険してきたんだ。君に会うために。」
その後、二匹はしばらく草むらで語り合った。
太陽はやさしく輝き、風はほんのり甘い匂いを運んでいた。
しかし、楽しい時間にも終わりがくる。
ミミは飼育員の先生に連れられて保育園へ戻っていく。
チモシーは遠くからその姿を見送った。
家に戻る途中、チモシーの足取りは軽かった。
たとえ短い再会でも、ミミとの約束を果たせたことが、彼の心を満たしていた。
ケージに戻ると、リナがホッとした顔で彼を迎えてくれた。
「どこ行ってたの?心配したんだから」
チモシーは鼻をピクピクと動かし、静かにチモシーハウスに戻った。
今日の冒険と再会の夢を、たっぷり思い返しながら。
そして彼は、次の風の匂いを待っている。
いつか、また新しい冒険が始まる日を――。