香川県観音寺市の山あいに、小さな製麺所があった。
店の名は「風のうどん」。
のれんが風に揺れ、誰にも見つけられないような場所に、ひっそりと佇んでいた。
店主の名は結城遥(ゆうき・はるか)。
三十代の半ば、腰まで届く黒髪を後ろで束ね、白い割烹着を身にまとう姿は、まるで古い時代から来た人のようだった。
幼いころ、祖父の打つうどんを見て育ち、香川の小麦、井戸水、塩だけで作られる讃岐うどんの真髄を受け継いだ。
遥の祖父、結城重蔵は地元で“うどん仙人”と呼ばれた職人だった。
麺の太さ、塩加減、茹で時間。
すべてが絶妙だった。なにより、食べる人の顔をよく見て、その人に合ったうどんを出すという伝説があった。
疲れた人には柔らかく、元気な子どもにはコシの強いものを。
出汁の濃さも、盛り付けも、全部違った。
だが、遥が大学から戻ったある年、重蔵はふいに倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
「店を継げ」とも「うどんを打て」とも、一言も言わなかった祖父。
だが、冷蔵庫の奥に残されていた一枚の手紙には、こう書かれていた。
「人は風のように生きればよい。おまえのうどんも、風のようにあれ。」
遥はそれが何を意味するのか分からなかった。
ただ、祖父の打ったあの滑らかで、噛むたびに小麦の香りが広がるうどんを、自分の手で再現したいと思った。
それが祖父への、そして自分自身への答えだと思えた。
店を再開させた遥は、毎朝四時に起きて仕込みを始めた。
小麦粉は祖父が最後まで使っていた地元産の「さぬきの夢」。
塩は海辺の塩田で採れる粗塩。水は、井戸を手入れして汲み上げたもの。
何度も失敗した。
祖父のような“風”の感覚など持ち合わせていなかった。
だがある日、旅の僧侶が店にふらりと立ち寄り、黙ってうどんをすすり、言った。
「このうどん、風のようじゃな」
遥は思わず聞き返した。「どういう意味ですか?」
「口に入れると、音もなくほどける。それでいて、芯は残っておる。強すぎず、弱すぎず、ただそこにあるもの。風のように。」
その言葉に、遥は祖父の手紙の意味を理解した気がした。
力んで作るのではなく、自然に、淡々と、今日のうどんを打つ。
それだけでいいのだと。
それから、「風のうどん」は地元の人々のあいだで少しずつ評判を呼び、やがて旅人も集まるようになった。
だが、メディアの取材はすべて断った。
遥は有名になりたくて店を始めたわけではない。
ある春の日、一人の青年が店を訪れた。
東京から来たというその青年は、カウンターに座るなり、ぽつりと呟いた。
「祖父が、ここのうどんを一番うまいって言ってました」
遥は驚いて顔を上げた。
青年は、重蔵の古い友人の孫だった。
旅先で祖父と出会い、食べたうどんが忘れられず、写真一枚だけを頼りに、ここまでたどり着いたという。
遥はその青年に、祖父が最後まで大事にしていた“釜玉うどん”を出した。
茹でたての麺に卵を絡め、出汁醤油をひとたらし。
青年は涙を流しながら食べた。
「これです……この味、ずっと探してました……」
遥は微笑みながら言った。
「それは、うどんじゃなくて、誰かの記憶なんだと思う。でも、それがうどんに宿ることも、あるのかもしれないね」
風がのれんを揺らし、店内にやさしく入り込む。
「風のうどん」は今日も、ただ静かにそこにあり続ける。
香り高い小麦の風をまといながら、人の心に沁みわたる一杯を届けている。