すだち日和

食べ物

高橋和也がすだちと出会ったのは、失意の帰郷のさなかだった。

東京の広告代理店で十年勤め上げたものの、組織の論理に疲れ果て、突然退職を決めた三十五歳の夏。
気がつけば彼は、徳島の実家に戻っていた。
実家といっても、すでに両親は亡く、手入れも行き届かないままの古びた木造家屋がぽつねんと残っているだけだった。

久しぶりの故郷。
海の香り、風に揺れる稲穂、虫の声。
それらすべてが東京では得られなかった「間」のようなものを与えてくれた。
そしてある日、和也は近所の農家・宮本さんに誘われ、すだちの収穫を手伝うことになる。

「すだち、って地味やけんど、これがええんよ」と笑いながら、宮本さんは籠にいっぱいの緑の果実を見せた。
「香り、味、見た目…全部が爽やかじゃろ?」

そう言って差し出された一房のすだちを、その場でかじった瞬間だった。

酸っぱさのなかに、キリリと芯の通った苦味と、どこか懐かしい清涼感。
目が覚めるような感覚とともに、和也は思った。
「これを、もっと多くの人に知ってもらえないだろうか」と。

それから彼は毎日、宮本さんの畑に通い、すだちの栽培や出荷の仕組みを学んだ。
農協を通さず、もっと自由な形で販売する方法も調べた。
都会の人たちは、すだちを知っているようで知らない。
料理に添える名脇役どまりで、主役としての魅力に気づいていない。
だからこそ、その“主役”としてのすだちを伝える場所を作りたいと考えた。

半年後、彼は徳島市内に「すだち日和」という小さな専門店をオープンさせた。
店内には、宮本さんをはじめとする地元の農家から仕入れた新鮮なすだちを中心に、すだちジャム、すだちソーダ、すだち塩、さらにはすだちを使った焼き菓子など、和也が試行錯誤で開発したオリジナル商品が並ぶ。

最初は地元の人々から「すだちだけで店が成り立つわけない」と冷ややかな目で見られた。
しかし、SNSで話題になったすだちレモネードが観光客の目を引き、やがて雑誌にも紹介された。

「東京でもこんなに香りのいいすだち、飲んだことないです!」

ある日、店に訪れた旅行者がそう言ってくれた時、和也は自分の選んだ道に間違いはなかったと確信した。

さらに彼は、店の奥に小さなカフェスペースを作り、すだちを使った軽食メニューも提供するようになった。
すだちと鶏肉のスープ、すだち味噌の焼きおにぎり、すだちの果汁を利かせたチーズケーキ。どれも評判は上々だった。

「地味かもしれない。でも、この香りは人を笑顔にできる」と和也は思う。

ある年の秋、和也は宮本さんにこう言われた。

「わしのとこももう歳やし、あんたに畑を任せようかと思うてるんや」

驚きと同時に、胸の奥にじんわりと温かいものが広がった。
東京での十年が無駄だったとは思わない。
でも、ここでしか得られない確かな手応えが、いまの自分には何よりの財産だった。

それから和也は、自ら畑を耕し、剪定を覚え、風を読むようになった。
朝露に濡れた葉の香り、収穫前の果実の重み。
それらすべてが、生きている実感を与えてくれる。

すだちは一瞬の旬を生きる果実だ。
その一瞬を逃さず、丁寧に届ける。
店の名前「すだち日和」には、「誰かの小さな幸せな一日を、すだちが彩りますように」という願いが込められている。

今では、すだち日和は東京にもポップアップで出店し、和也は講演にも呼ばれるようになった。
でも彼が一番好きなのは、やはり早朝の畑で、朝陽のなかにきらめく青い果実に手を伸ばす瞬間だ。

その香りは、いつだって彼に「帰る場所がある」と教えてくれる。