夜明けのスタンド

面白い

午前4時、まだ街が眠る時間。
中山修二はいつものようにガソリンスタンドのシャッターを開けた。
郊外の片隅にあるこのスタンドは、24時間営業という名目だが、深夜帯の客はほとんどいない。
それでも誰かがいなければならない。

修二は48歳。
妻とは数年前に別れ、子どもとも疎遠になった。
前職の工場をリストラされ、この仕事に就いてもう5年になる。
無口で、丁寧で、真面目。
だが誰の記憶にも残らない、そんな人間だった。

午前5時半。東の空がうっすらと明るくなり始めた頃、古びた軽トラックがスタンドに入ってきた。
降りてきたのは、やけに元気のいい高校生くらいの少年。
キャップを逆さにかぶり、作業服の裾が泥だらけだ。

「満タンでお願いします!」

少年は笑顔で言った。
修二は無言でうなずき、給油を始めた。

「おじさん、いつもここにいるよね? 朝早いの、大変じゃない?」

唐突な質問だった。
普通、誰も話しかけてこない。
修二は少し戸惑ったが、「慣れたよ」とだけ答えた。

「へぇ。俺もこの時間、畑行く前に寄るんだ。親父が農家やってて、手伝ってるんだよ。朝の空気、気持ちいいよね」

少年の言葉は軽やかだった。
まるで修二の中にたまった静寂を打ち砕くように。

「……お前、名前は?」

気づけば修二は尋ねていた。

「健太。佐藤健太っす!」

それからというもの、健太はほぼ毎朝スタンドにやって来た。
5分か10分の短い会話だったが、修二は少しずつ心を開いていった。
健太の話は活き活きとしていた。
畑の話、学校のこと、夢のこと。

「俺、農業で起業したいんだ。若い人も農業できるって証明したくてさ」

その言葉に、修二は何かを思い出しかけた。
若い頃、彼にも夢があった。
自分の整備工場を持ちたいと願っていた。
でも、結婚、子育て、生活に追われ、いつしか諦めてしまっていた。

「……お前はすごいな」

ある朝、修二はぽつりと言った。

健太は笑った。

「おじさんも、何かやりたいことあったんじゃない? まだ遅くないって、俺は思うよ」

その言葉は胸に刺さった。
何かが変わる予感がした。

数日後、修二はスタンドの休憩室で一枚の紙を見つめていた。
夜間の整備士資格講座の申込書だった。
ペンを持つ手が震えた。
何十年ぶりに感じる「挑戦」だった。

春になった頃、健太は言った。

「この春、高卒で起業するんだ。地元の小さな畑を借りてさ、まずは直売から始める予定。良かったらさ、おじさん、看板作ってくれない? 車の整備もお願いしたいんだ」

修二は目を見開いた。

「……俺でいいのか?」

「おじさん、俺の夢、応援してくれたじゃん。だから、俺もおじさんの力を借りたいんだ」

その日、修二は久しぶりに涙をこらえた。

スタンドの朝は変わらない。
だが、その空の色は、昨日より少しだけ鮮やかに見えた。