古い木造アパートの二階。
陽のあたらない北側の部屋に、百合子(ゆりこ)はひっそりと暮らしていた。
部屋には特に目を引くものはなかった。
シンプルなローテーブルに、畳の上に座布団。
テレビもなく、代わりに窓際の棚には小さな急須と茶器が並んでいる。
そして、その隣にいつも置かれているのが、ドクダミ茶の袋だった。
百合子は毎朝、目覚めてすぐにお湯を沸かし、ドクダミ茶を淹れる。
その渋く、やや薬草のような独特な香りが部屋にふわりと広がると、ようやく一日が始まる気がした。
「こんなクセのあるお茶、よく毎日飲めるね」と、かつての同僚は笑って言った。
確かに、ドクダミ茶のにおいは好き嫌いがはっきり分かれる。
けれど百合子にとっては、それが心の支えだった。
祖母の影響だった。
小学生の頃、両親が離婚して百合子は母と二人で祖母の家に引き取られた。
母は働き詰めで、いつも帰りは遅かった。
その代わり、百合子の面倒を見てくれたのが、祖母だった。
祖母は庭の一角でドクダミを育てていた。
「これはな、毒を抑えるから“ドクダミ”って言うんだよ」と、祖母は葉を摘みながら教えてくれた。
「くさいけど、体にはすごくいいんだ」
夕方になると、祖母はそのドクダミを干し、お茶にして飲ませてくれた。
「百合子も、そのうち好きになるよ。しぶーい味がね、心にしみるの」
最初は嫌だった。
くさくて、苦くて、喉にひっかかる感じがして。
けれど、中学生になるころには、そのお茶を飲む時間が楽しみになっていた。
学校でうまくいかない日も、誰とも話したくない日も、ドクダミ茶のあたたかさが体の奥にしみ込んでいくと、なぜか安心できた。
祖母が亡くなったのは、百合子が就職してすぐのことだった。
母もその数年後に再婚して遠くへ行ってしまい、気づけば百合子には、話し相手もほとんどいなくなっていた。
けれど、ドクダミ茶だけは変わらず、百合子のそばにあった。
ある日、近所の古本屋で見かけた男がいた。
白髪混じりで、やや猫背。
棚の間で、熱心に古い茶道の本を眺めていた。
店主と親しげに話していたその男が、ふと百合子に気づいて話しかけてきた。
「あなたも、お茶が好きなんですか?」
百合子は驚いたが、思わず頷いていた。
それが、清川(きよかわ)さんとの出会いだった。
彼はかつて茶葉の専門店に勤めていたらしく、様々な種類の茶について豊富な知識を持っていた。
特に、薬草茶や古来の民間茶については一家言あるらしい。
「ドクダミ茶は、いいですよね」と清川さんは言った。
「昔はよく自分で摘んで干してました。いまどき、あれを好んで飲む人なんて、珍しい」
百合子はなぜか、胸が熱くなった。
それからというもの、二人は時折、古本屋の前で待ち合わせ、近くの公園でお茶を飲むようになった。
清川さんはいつも、自分で淹れた変わったお茶を水筒に入れて持ってくる。
百合子も、ドクダミ茶を用意して行った。
ドクダミの香りが二人の間に漂う。
会話はとりとめもないが、不思議と心地よかった。
「このにおい、好きですか?」と百合子が尋ねたことがある。
清川さんは、目を細めて笑った。
「うん。嫌いな人も多いけど、私は、これを嗅ぐと誰かを思い出す。だから――いいにおいだと思ってるよ」
百合子も、同じ気持ちだった。
においというのは、記憶に結びついている。
ドクダミの香りは、祖母の庭と、夕焼けと、あのぬくもりを呼び起こす。
そして今は、清川さんとのこの静かな午後も。
百合子はこれからも、毎朝ドクダミ茶を淹れるだろう。
それは、過去と今をつなぐ、ささやかな儀式。
たとえ世界の誰も好きじゃなくても、自分だけがその香りを「好き」と言えるなら、それでいい。
そう思えるようになったのは、きっとこのお茶のおかげだ。