部屋のカーテンを開けるのが、村田の朝一番の儀式だった。
太陽の光がどんなにまぶしくても、雨が窓を濡らしていても、彼は決してこの行動を欠かさない。
ただし、ただの「開ける」ではない。
正確な角度で左右均等に開く。
ひだの数にもこだわりがある。
カーテンは部屋の顔だ、と村田は言う。
村田は42歳の独身男性。
職業はインテリアコーディネーター。
自分の部屋も事務所も、どこかホテルの一室のように洗練されていた。
ただ一つ違うのは、どの部屋にも何種類ものカーテンが揃っていること。
リネン、ベルベット、レース、遮光、和紙風… その日その時の気分と天気に応じて使い分ける。
ある日、村田はひとつのことに気がついた。
自分の部屋には、”見られる”という視点が欠けているのではないか、と。
「カーテンは内と外を分ける境界だ。だが、それを超えて誰かとつながることもできるはずだ」
そう思い立った村田は、近所のカーテン専門店「ファブリックの森」で、ひときわ目を引くカーテンを見つけた。
それは透け感のあるシルバーグレーの生地に、小さな星の刺繍が散りばめられているものだった。
夜の光を吸収し、朝には柔らかい光を放つという不思議な素材。
「このカーテンは……どこ製ですか?」
「北欧の小さな工房で作られてます。手織りなんですよ」と店員が答えた。
村田はそのカーテンを購入し、さっそく寝室の窓に取り付けた。
その夜、初めてカーテンを「誰かに見せる」感覚に襲われた。
夜空のような布の向こうに、何者かの気配があるような、不思議な安心感。
それから数日後。
向かいのアパートの窓に変化があった。
今まで無機質なブラインドだった部屋に、鮮やかなオレンジ色のカーテンが下がっていたのだ。
「……誰か、見ている?」
村田は妙な気持ちになった。
翌日、彼は少し遊び心で、カーテンに小さなリボンを結びつけてみた。
すると数日後、向かいのカーテンにも小さなタッセルが追加されていた。
――無言のカーテンコミュニケーション。
子供じみていると思いつつも、村田の心は躍った。
季節ごとに柄を変えたり、時にはカーテンレールに小物を吊るしたり、どこかでその変化に反応が返ってくるのを楽しみにする日々。
数ヶ月後、ついにその相手と出会う日が来た。
ある日、カーテンを洗うために窓を開けると、ちょうど向かいの窓からも顔が出た。
20代半ばくらいの女性で、驚いた顔をしていたが、すぐにふっと笑った。
「もしかして、あなたが……グレーの星の人?」
村田は頷いた。
「そしてあなたが、オレンジのリボンの人ですね」
笑い合う二人の間に風が吹き抜けた。
カーテンが揺れ、その重なり合うひだの奥に、たしかなぬくもりがあった。
***
あれから一年が経った。
村田は今もカーテンにこだわっている。
けれど、それはもう一人だけのこだわりではない。
今はふたりで選び、ふたりで吊るす。
カーテンは、世界と自分を隔てる布ではなく、誰かとつながるための扉だったのだ。