むかしむかし、深い森の奥に、ひとつの古い切り株がありました。
その切り株は、もとは大きな樫の木でした。
数百年も生きてきたその木は、鳥たちの巣になり、リスのかけっこの舞台になり、森の仲間たちにとって、なくてはならない存在でした。
けれどある日、森にやってきた人間たちが、大きなノコギリを持ってきて、あっという間にその木を切り倒してしまったのです。
人間たちは言いました。
「これで立派なテーブルが作れるぞ」
その言葉を最後に、大木は静かに倒れ、残されたのは、ひとつの切り株だけ。
森の仲間たちは悲しみました。
鳥たちは巣を失い、リスたちは遊び場をなくしました。
けれど、切り株は言いました。
「わたしはまだ、ここにいるよ。何もできなくなったわけじゃない。わたしにできることを考えよう」
リスは首をかしげ、フクロウは目を丸くしました。
でも、切り株の言葉にはどこかあたたかさがありました。
それからというもの、切り株は森のベンチになりました。
旅人が森を訪れたときには、切り株に腰を下ろして休みました。
リスたちは切り株の上で遊び、フクロウは切り株のそばで昼寝をしました。
雨の日には、小さなキノコたちが切り株の影に身を寄せ、風の強い夜には、森の子どもたちが切り株の周りに集まって、物語を語り合いました。
切り株は、何も言わずにただそこにあるだけでした。
でも、そこにあるだけで、みんなの心がふっとやわらかくなるのです。
ある年、また人間が森にやってきました。
新しい道を作るために、森の木をさらに切り倒すというのです。
森の動物たちは震えました。
もうこれ以上、大切な仲間を失いたくない、と。
その夜、切り株のまわりに動物たちが集まりました。
フクロウがぽつりと聞きました。
「ねえ、切り株さん。もし道ができたら、あなたはどうなるの?」
切り株は、しばらく黙っていました。
やがて、ゆっくりと答えました。
「たぶん、わたしは掘り起こされて、どこかに運ばれてしまうかもしれないね。でもね、それでもいい。もしその道が、森と人をつなぐ道になるのなら、わたしはそれもひとつの役目だと思うよ」
みんなは言葉を失いました。
誰よりも傷ついたはずの切り株が、こんなにも静かに、優しく、未来を受け入れているなんて。
その日から、森の仲間たちは、切り株のことを「森の語り部」と呼ぶようになりました。
数年後、その森には細い散歩道ができました。
幸いなことに、切り株はそのまま残され、小さな案内板が立てられました。
ここに立つ切り株は、かつて大きな樫の木でした。
多くの命を育み、今もなお、静かに森を見守っています。
切り株は、今もそこにあります。
季節の風に吹かれながら、小さな声で森の物語を語り続けています。
誰もいない夜、月明かりの下で、そっと耳をすませば——
「わたしは、まだここにいるよ」