ある村のはずれに、小さな川が流れていた。
その川には、昔からカッパが住んでいると言われていたが、誰もその姿を見た者はいなかった。
しかし、村の子どもたちは川のそばで遊ぶたびに、「カッパに引きずり込まれるぞ」と大人たちに注意されていた。
そんなある日、村の少年・タクミは、ひとりで川辺を歩いていた。
夏の夕暮れ、川の水面が金色に輝いている。
ふと水面を覗き込むと、そこに見慣れない顔があった。
大きな丸い目、皿のような頭、甲羅を背負った緑色の小さな姿。
それはカッパだった。
「お前、カッパなの?」
タクミは驚きつつも、怖がらずに話しかけた。
カッパは驚いた様子だったが、やがてニヤリと笑った。
「そうさ。お前は怖くないのか?」
「別に怖くないよ。でも、本当にカッパっているんだな」
タクミがそう言うと、カッパは得意げに腕を組んだ。
「もちろんだ。俺はこの川の主だからな」
タクミとカッパは、しばらく話をした。
カッパの名前はシンジ。
彼はずっと昔からこの川に住んでいて、人間たちが自分を怖がるのを見て楽しんでいたという。
だが、最近の子どもたちは川で遊ばなくなり、カッパのことを信じる者も少なくなってしまった。
「だから、お前みたいに話してくれる人間がいるのは嬉しいよ」
シンジは少し寂しそうに笑った。
タクミはシンジと友達になり、毎日のように川に通った。
シンジはタクミに泳ぎ方を教えたり、水草で作ったお守りを渡したりした。
タクミは村の誰にもこのことを話さなかった。
二人だけの秘密の時間だった。
しかし、ある日、村に大雨が降った。
川の水が増し、濁流が村の近くまで押し寄せた。
タクミは不安になり、すぐに川へ向かった。
すると、そこにはシンジの姿があった。
「シンジ、大丈夫か?」
「お前こそ、こんなときに来るなんて危ないぞ!」
シンジは必死に川の流れを食い止めようとしていた。
しかし、彼の力ではどうにもならない。
タクミは何かできることはないかと考えた。
「村の人たちを呼んでくる!」
「待て! それだけはダメだ!」
シンジは慌てて止めた。
「もし俺の姿を見られたら、村の人間たちはどうすると思う?」
タクミはハッとした。
村の大人たちはカッパを恐れている。
もしシンジの存在が知られたら、きっと追い払われるかもしれない。
「でも、このままだと村が水に飲まれちゃう……」
タクミは拳を握りしめた。
すると、シンジは深く息を吐き、決心したように言った。
「わかった。俺にできることをやる」
シンジは川に潜り、水流を操り始めた。
彼の力で川の流れが変わり、水が村に流れ込むのを防いだ。
しかし、その代償として、彼は川の深い底へと引き込まれていった。
「シンジ!」
タクミは必死に手を伸ばしたが、シンジの姿は見えなくなった。
それから雨は止み、川の水も落ち着いた。
村は無事だった。
しかし、シンジは二度と姿を見せなかった。
タクミは毎日のように川へ行き、彼を呼び続けた。
だが、シンジは戻らなかった。
ある日、川辺に小さな水草の葉が浮かんでいた。
それは、かつてシンジがくれたお守りと同じものだった。
タクミはそれを握りしめ、静かに呟いた。
「ありがとう、シンジ。俺は忘れないよ」
風がそよぎ、川の水面がやさしく揺れた。
まるでシンジが微笑んでいるかのように——。