小さな町の片隅に、「風見鶏」という名の小さなレストランがあった。
店主でありシェフの青年、藤崎陽介は、料理にかける情熱なら誰にも負けないと自負していた。
幼い頃から台所に立ち、祖母の作る家庭料理を手伝うのが何よりも好きだった。
料理はただ食欲を満たすものではなく、誰かの心を癒し、思い出を紡ぐものだと信じていた。
だが、陽介の店はまだ駆け出しで、客足はまばらだった。
地元の食材にこだわり、丁寧に仕込みをしても、口コミだけではなかなか広がらない。
そんなある日、彼の店に一人の老婦人が訪れた。
「ここは、昔の『藤の屋』の流れを汲んでいるのかしら?」
藤の屋――それは、かつて陽介の祖母が営んでいた食堂の名前だった。
「ええ、祖母の料理が大好きで、私なりに受け継いでいるつもりです」
老婦人は懐かしそうに微笑み、「じゃあ、昔のあの味、再現できるかしら?」と問いかけた。
彼女の希望は、祖母がよく作っていた「鶏の煮込み」だった。
陽介は心の中で静かに息を整え、慎重に料理を作り始めた。
鶏肉はじっくりと低温で火を入れ、旨味を引き出す。
祖母の味を思い出しながら、醤油とみりん、そして少しの隠し味を加える。
仕上げに山椒を軽く振りかけ、湯気の立つ皿を老婦人の前に置いた。
一口食べた瞬間、老婦人の目に涙が浮かんだ。
「懐かしい……これは、確かにあの味だわ」
彼女は昔、この町に住んでおり、藤の屋の常連だったという。
祖母が店を畳んでからというもの、あの味を探し続けていたが、どこにも見つからなかったらしい。
「ありがとうね。もう一度、この味に出会えるなんて思わなかった」
その言葉に、陽介の胸が熱くなった。
その日を境に、「風見鶏」は少しずつ賑わいを見せ始めた。
老婦人の話を聞いた人々が店を訪れ、陽介の料理を味わい、「これがあの藤の屋の味か」と感嘆の声を上げた。
彼は単なるシェフではなく、記憶を料理で蘇らせる職人として、人々の心に刻まれていった。
料理は、ただ食べるだけのものではない。
それは、人生の物語を紡ぐ大切なものなのだと、陽介は改めて実感した。
そして彼は今日もまた、新しい誰かの思い出を皿の上にのせるために、火を灯し続けるのだった。