仮面舞踏会の夜に

面白い

十九世紀のヨーロッパ、華やかな貴族社会が栄華を極める時代。
とある国の王宮では、年に一度の盛大な舞踏会が開かれる。
この夜ばかりは身分の隔たりもなく、貴族も平民も仮面をつけて踊り、秘密を抱えて戯れるのだった。

「今宵、運命が交差する」

そんな噂が広まるなか、一人の青年が舞踏会の会場へと足を踏み入れた。
黒の仮面をつけ、漆黒の燕尾服に身を包んだ彼の名はリュシアン。
貴族の血を引きながらも、幼い頃に父を亡くし、没落した家柄のために下層の生活を強いられていた。
しかし、この夜ばかりは誰もが平等。
彼はある目的のため、身分を偽り舞踏会へと忍び込んだのだった。

豪華なシャンデリアの下、煌びやかな装飾が施された広間では、すでに多くの男女が舞い踊っていた。
音楽は軽やかに響き、人々の囁き声が甘やかに空気を満たす。
仮面の下に隠された笑顔は、誰もが自らの秘密を守るためのものだ。

リュシアンの目は、たった一人の人物を探していた。

やがて、彼の視線は一人の女性に吸い寄せられた。
真紅のドレスを纏い、銀の仮面をつけたその女性は、まるで燃え上がる炎のように鮮烈な存在感を放っていた。
彼女は舞踏会の中央で孤高に佇み、誰の誘いにも応じることなく、ただ静かにその場に立っていた。

「あれが……公爵令嬢、エレーヌ・ド・ベルモントか」

エレーヌはこの国の権力者の一人、ベルモント公爵の娘であり、政略結婚の駒として扱われていると噂される女性だった。
美しい容姿と気品ある振る舞いから、多くの貴族が彼女に魅了されていたが、彼女自身は誰にも心を許さず、冷たく微笑むばかりだった。

リュシアンは静かに歩み寄り、彼女の前で優雅に一礼した。

「お相手願えますか?」

エレーヌは彼の顔をじっと見つめた。
黒の仮面の下から覗く深い青の瞳に、一瞬だけ驚きの色を浮かべたが、それを悟られぬようにすぐに微笑を返した。

「……ええ、喜んで」

音楽が変わり、二人はワルツを踊り始めた。
リュシアンの手がエレーヌの腰を軽く支え、彼女は彼の肩にそっと手を添える。
まるで長年の恋人のように、二人の動きは完璧に調和していた。

「あなたの瞳……どこかで見たことがある気がするわ」

エレーヌが小さく囁いた。
リュシアンの表情は変わらなかったが、心臓の鼓動が速くなるのを感じた。

「それは夢の中で、では?」

「かもしれませんね……」

エレーヌは薄く微笑んだが、内心では確信していた。
この男は、どこかで会ったことがある
。だが、仮面舞踏会の掟がある限り、詮索することは許されない。

舞踏が終わり、二人は視線を絡ませながら別れた。
だがリュシアンはただ踊るためにここに来たのではない。
彼にはもう一つの目的があった。

「ベルモント公爵に復讐する」

リュシアンの父はかつてベルモント公爵に仕えていたが、謀略により失脚し、命を落とした。
貴族の名誉を奪われた一家は没落し、母は悲しみの中で病に伏して亡くなった。
そして、リュシアンは長年の間、この夜のために生きてきたのだ。

エレーヌに近づいたのは、父の仇に復讐を果たすため。
しかし、彼女と踊った瞬間、心の奥に迷いが生じた。

「彼女は敵なのか、それとも……」

舞踏会の喧騒の中、リュシアンは密かに公爵の動向を探っていた。
そして深夜、彼は公爵が別室で密会していることを知る。
隠し持っていた短剣を握りしめ、静かにその部屋へと向かった。

しかし、そこには予想外の人物が待っていた。

エレーヌだった。

彼女は仮面を外し、真剣な眼差しでリュシアンを見つめた。

「あなたの正体は知っているわ。そして、何をしようとしているのかも」

「……ならば止めるのか?」

エレーヌはゆっくりと首を振った。

「いいえ、私は……あなたを助けたい」

リュシアンは驚いた。
彼女が敵ではないと知った瞬間、胸の奥で絡み合っていた感情がほぐれていくのを感じた。

エレーヌは囁いた。

「私も父を憎んでいるの。私の人生を自由に操るあの男を……」

彼女の瞳には、悲しみと怒り、そして何かを変えたいという決意が宿っていた。

こうして二人の運命は交差した。
仮面の下に隠された真実が暴かれ、彼らは共に新たな道を歩むことを決意する。

――その夜、舞踏会の鐘が鳴り響く。
新しい運命の幕開けを告げるかのように。