高校生の遥は、音楽が何よりも好きだった。
しかし、家は静かでなければならなかった。
母は夜勤の看護師で、昼間に寝ていることが多く、大きな音を出すことは許されなかった。
遥はそんな生活の中で、祖父から譲り受けた古いヘッドフォンを使って音楽を聴くのが日課だった。
そのヘッドフォンはレトロなデザインで、コードは少し傷んでいたが、音質は驚くほど澄んでいた。
耳に当てると、まるで演奏会場にいるような臨場感があった。
不思議なのは、そのヘッドフォンを通して聴く音楽が、時折、遥が知っている曲とは微妙に異なることだった。
例えば、ピアノソロの部分に弦楽器の音が加わっていたり、ボーカルの声色が違っていたりするのだ。
ある夜、遥はベッドに横たわりながら、ヘッドフォンでお気に入りのバンドの曲を聴いていた。
すると、曲が終わるはずのタイミングで、聞いたことのない旋律が流れ始めた。
優しく切ないピアノの調べが夜の静寂に溶け込み、その後ろにかすかな声が重なる。
「聞こえる?」
遥は思わずヘッドフォンを外した。
部屋には誰もいない。
再び耳に当てると、その声は続いていた。
「あなたも、探しているの?」
心臓が早鐘を打つ。
しかし、不思議と怖くはなかった。
その声には懐かしさと優しさがあった。
翌日、遥は祖父の書斎を探した。
ヘッドフォンについて何か手がかりがあるはずだと思ったのだ。
古いアルバムや日記をめくるうちに、一冊のノートが目に留まった。
そこには、祖父の若かりし頃の記録と共に、ある女性の名前が繰り返し書かれていた。
「沙耶(さや)…?」
ノートには、こう綴られていた。
「沙耶の声を録音した。彼女の歌声は、どんな楽器よりも美しい。いつか、このヘッドフォンを通して、またあの音を聴きたい。」
遥は理解した。
あのヘッドフォンは、ただのオーディオ機器ではなかったのだ。
祖父が愛した人の声を、時間を超えて届ける装置だったのだ。
その夜、遥は再びヘッドフォンを耳に当てた。
やはり、あの旋律と声が流れてくる。
今度は恐れることなく、静かに耳を澄ませた。
「あなたも、音を探しているのね。」
遥は小さくうなずいた。
「私は、あなたのおじいさまの音を探していたの。」
その瞬間、遥の目の前に一つの光景が広がった。
古びたレコードプレーヤーの前で、若き日の祖父と一人の女性が並んで座っていた。
女性は柔らかい声で歌っており、祖父は穏やかな表情でギターを弾いていた。
「音楽は、心を繋ぐの。」
その言葉と共に光景は消えた。
翌朝、遥は学校へ向かう途中で気づいた。
あのヘッドフォンを通して聴こえたのは、祖父と沙耶が紡いだ「未完成の歌」だったのだ。
そして、その続きを完成させるのは、自分の役目なのかもしれないと。
ヘッドフォンを耳に当て、遥はつぶやいた。
「音楽は、心を繋ぐんだよね。」
その瞬間、新たな旋律が流れ出した。
遥の心の中で、過去と現在、そして未来が音で繋がっていった。
ヘッドフォンが奏でる音は、単なる音楽ではなかった。
それは、時間を超えて心を繋ぐ、物語そのものだった。