広島の小さな町工場で育った浩太は、幼いころから野球が好きだった。
週末には父と近くの公園でキャッチボールをし、試合をテレビで見るときは、選手が投げるボールや打球よりも、その手元のグローブに目を奪われた。
使い込まれて黒ずんだ皮、独特のフォルム、そしてキャッチしたときに響く乾いた音――それは浩太にとって、野球そのものの美しさを象徴していた。
中学生になると、浩太は地元の野球部に入部した。
練習や試合に熱中し、いつもグローブを手入れするのが楽しみだった。
けれど、浩太にはひそかな悩みがあった。
自分のグローブが、どうしてもしっくりこないのだ。
手の形に合わない違和感があり、球を取るたびに「もっといいグローブがあれば」と思ってしまう。
そんなある日、浩太は地元のスポーツ用品店でグローブの修理をしている年配の男性を見かけた。
その人の名前は高橋義人。
元々はプロのグローブ職人で、長年大手メーカーに勤めた後、独立して個人で修理を請け負っているという。
興味津々の浩太は、高橋の手元をじっと見つめた。
「坊主、そんなに見てたら穴が開くぞ」
高橋が笑いながら声をかけてきた。
浩太は慌てて頭を下げ、「グローブってどうやって作るんですか?」と尋ねた。
それが二人の関係の始まりだった。
その後、浩太は暇さえあれば高橋の作業場を訪れ、グローブの作り方を学ぶようになった。
牛革の選び方、糸の通し方、指の部分の補強――すべてが初めて触れる世界だった。
特に驚いたのは、高橋が「一つとして同じ手はない」と言ったことだった。
グローブを作る際には、選手一人ひとりの手の形や投げ方、キャッチの癖に合わせて調整するのだという。
「いいグローブってのは、選手と一緒に成長する相棒だ。ただの道具じゃないんだよ」
高橋の言葉に、浩太の胸は熱くなった。
高校に進学しても浩太の野球熱は衰えなかったが、同時にプロになる夢を諦める現実も見えてきた。
才能の差は残酷だった。それでも、浩太の情熱は別の形で燃え続けた。
プロになれなくても、自分の手で選手を支えられるグローブを作りたい。
そう思ったとき、自然と高橋の顔が浮かんだ。
浩太は高校卒業後、皮革加工の専門学校に進学した。
そこでは素材や縫製の基礎を学びつつ、高橋の工房でも修行を続けた。
高橋の指導は厳しかった。
寸分の狂いも許されない職人気質の仕事に、浩太は何度も挫けそうになったが、少しずつ技術を磨いていった。
ある日、浩太は初めて自分の手で一からグローブを作ることになった。
モデルは自分の手だ。試行錯誤を重ねながら作り上げたそのグローブを手にしたとき、浩太は感動で言葉を失った。
思い描いていた理想の形がそこにあったのだ。
「悪くないじゃないか。だが、まだまだだな」
高橋は微笑みながらそう言った。
その日から、浩太はさらに本格的にグローブ作りに取り組むようになった。
数年後、高橋が体調を崩し、工房を閉じることを決めたとき、浩太はその後を継ぐことを申し出た。
「先生の技術を絶やしたくないんです」と言ったとき、高橋は黙って頷いた。
そして、浩太に古びた革包丁を手渡しながら言った。
「この包丁で、たくさんのグローブを作ってきた。これからはお前が使え」
今、浩太の工房には全国から注文が舞い込んでいる。
彼が作るグローブは、プロ選手にも愛用されるほどの品質だ。
それでも浩太は、初心を忘れない。
「選手と一緒に成長する相棒を作る」という思いを胸に、今日も革と向き合っている。