土手の風に包まれて

面白い

吉田誠(よしだ まこと)は、毎朝欠かさず土手を散歩するのが日課になっていた。
彼がこの習慣を始めたのは、五年前、妻の美奈子(みなこ)が突然の病で亡くなった時からだった。
美奈子は、彼の人生におけるすべてだった。
彼女を失った後、誠の心には深い空洞が生まれ、その空洞を埋めるために何かを探していた。
そして、ふとしたきっかけで、家の近くにある川沿いの土手を歩くようになった。

土手は、四季折々の風景を誠に見せてくれた。
春には桜が咲き誇り、夏には青々とした草が風に揺れ、秋には紅葉が川面に映り、冬には静寂の中に白い霜が降りる。
毎日、誠はこの風景の変化を感じながら歩いた。
最初はただ無心で歩くだけだったが、次第に彼は土手の自然に心を開くようになった。

誠が特に好きだったのは、早朝の時間帯だった。
朝の薄明かりの中で、川は静かに流れ、鳥たちのさえずりが聞こえる。
その静かな空間は、誠の心を癒してくれた。
彼は、妻と一緒に過ごした日々を思い出しながら、その静けさに包まれることが日々の慰めとなっていた。

ある日、誠がいつものように土手を歩いていると、一匹の野良犬が彼の足元にやってきた。
その犬は痩せ細り、見るからに弱々しかった。
誠は一瞬ためらったが、犬の瞳に何か特別なものを感じ、思わずポケットからおにぎりを取り出し、犬に与えた。
犬は感謝するように誠の手を舐め、静かにそのおにぎりを食べ始めた。

その日から、誠は毎朝その犬と一緒に歩くようになった。
彼は犬を「ポチ」と名付け、土手を歩くたびにポチに食べ物を持って行った。
ポチも誠に心を開き、彼のそばを離れずに寄り添って歩くようになった。
彼らは無言のまま、しかし心の中で深い絆を築いていった。

誠は、ポチと一緒にいることで、少しずつ自分の中の孤独感が和らいでいくのを感じていた。
彼はポチのために犬小屋を作り、家の庭に住まわせることにした。
ポチはすぐにその家になじみ、誠の帰りを毎日待つようになった。

しかし、ある日、ポチが突然姿を消した。
誠は心配になり、土手を何度も探し回ったが、ポチの姿はどこにもなかった。
彼はポチとの思い出を思い返しながら、再び孤独感が胸を締め付けるのを感じた。
ポチは誠にとって、妻を失った後の心の支えとなっていたのだ。

ポチがいなくなってから数週間後、誠はふとした瞬間にポチがかつて通っていた土手の道を歩いていた。
突然、彼の耳にかすかな鳴き声が聞こえてきた。
その声を頼りに、彼は土手の茂みの中を進んだ。
そこには、痩せ細ったポチが横たわっていた。
ポチは力なく彼を見つめ、誠に向かって尻尾を振った。

誠はポチを抱き上げ、すぐに動物病院へ連れて行った。
しかし、医師はポチが年老いており、もう長くは生きられないだろうと告げた。
誠は悲しみに打ちひしがれながらも、ポチの最期を見守ることを決意した。
彼は家にポチを連れて帰り、暖かいベッドを用意し、最後の時間を共に過ごした。

数日後、ポチは静かに息を引き取った。
誠は涙を流しながら、ポチを土手の近くの静かな場所に埋めた。
その場所は、彼らが一緒に歩いた土手が見える丘の上だった。
誠はその場所に小さな石碑を立て、ポチとの思い出を胸に刻んだ。

誠はその後も毎日土手を歩き続けた。
しかし、彼の心には以前とは違う穏やかさが宿っていた。
彼は、ポチとの出会いが自分にとってどれだけ大切なものであったかを感じ、ポチの存在が彼の孤独を癒してくれたことに感謝していた。
そして、彼はこれからも、妻とポチの思い出を胸に、土手を歩き続けるだろうと誓った。

土手の風は、いつもと変わらず誠の頬を優しく撫でる。
その風の中に、彼は確かにポチと美奈子の温もりを感じていた。