放課後、教室の窓はすこしだけオレンジ色に溶けていた。
黒板の端に残ったチョークの粉が、夕方の光を吸いこんで、まるで小さな星みたいにきらきらしている。
ぼくはランドセルを背負いながら、ため息をひとつついた。
きょうは、なんとなくまっすぐ帰りたくない気分だった。
「ねえ、きみ」
声は、机の中から聞こえた。
思わず手を止めて、そっと引き出しを開ける。
そこには、見たこともないものがいた。
手のひらに乗るくらいの、小さなドラゴン。
青い鱗に、すこしだけしわくちゃの羽。
「やっと見つけた……」
ドラゴンは、ほっとしたみたいに言った。
「え、だれ?というか、なんで机の中に……?」
「迷子なんだ。帰り道がわからなくなって」
ドラゴンは申し訳なさそうに、しゅんと首をすくめた。
よく見ると、羽の先が少しだけ焦げている。
「帰り道って……どこから来たの?」
「空のずっと上。雲の向こうの、そのまた向こう。でもね、途中で風に迷って、気がついたらここに落ちてた」
ぼくはしばらく考えて、それから鞄の中を探った。
社会の時間に使った、くしゃくしゃの地図が出てくる。
「これじゃダメかな」
広げると、町の道や川や公園が、細かく描かれている。
だけどドラゴンは、じっとそれを見つめて、首を横に振った。
「地図はね、場所は教えてくれるけど、“帰り道”は教えてくれないこともあるんだ」
「どういうこと?」
「帰り道って、その人だけのものだから」
夕焼けが、すこしだけ濃くなった。
教室の外で、誰かの笑い声が遠くに消えていく。
ぼくは地図をたたみ直して、ドラゴンをそっとポケットに入れた。
「じゃあ、一緒に探そう」
「いいの?」
「うん。どうせ、今日はまっすぐ帰りたくなかったし」
ドラゴンは、ちいさく笑った気がした。
校門を出ると、いつもの道がすこし違って見えた。
パン屋の前を通ると、甘い匂いが風に乗る。
信号待ちの時間も、なぜか長く感じる。
「ねえ、どこに行けばいいと思う?」
「わからない。でも、なんとなく“ちがう”ところを選んでみて」
ぼくはいつも曲がらない角を、あえて曲がってみた。
知らない道。見たことのない古い家。
塀の上で眠る猫。
ドラゴンはポケットの中で、静かに息をしている。
「ちょっとあったかいね」
「それ、安心してるからだよ」
気づくと、坂の上に出ていた。
町が少しだけ見下ろせる場所。
空はもう、オレンジから紫へと変わりはじめている。
そのとき、ドラゴンがふっと顔を上げた。
「あ」
「どうしたの?」
「においがする。懐かしい風のにおい」
ぼくは空を見上げた。
雲の隙間が、ほんの少しだけ開いている。
その向こうに、深い青が見えた気がした。
「ここだ」
ドラゴンはポケットから飛び出した。
小さな羽を、ぎこちなく広げる。
「でも、その羽じゃ……」
「大丈夫。きみと歩いた道が、ちゃんとここまでつながってるから」
そう言って、ドラゴンは一度だけこちらを振り返った。
「ありがとう。地図じゃなくて、一緒に迷ってくれて」
ぼくは何も言えずに、ただうなずいた。
ドラゴンはふわりと浮かび上がる。
最初は頼りなかった羽ばたきが、だんだんと力強くなっていく。
そして、雲の隙間へ――。
気がつくと、風がやさしく吹いていた。
ポケットの中は、もう空っぽだった。
ぼくは坂の上にひとり立って、しばらく空を見ていた。
帰り道は、まだわからないままだ。
でも、なんだか少しだけ、遠回りしてもいい気がした。
ランドセルの中で、くしゃくしゃの地図がかすかに音を立てる。
きっとあれは、場所を示すだけのもの。
でも今日の放課後は、ちゃんとぼくの中に残っている。
迷いながら歩いた道のことも、小さなドラゴンのぬくもりも。

