おやつの時間になると、学校の古い時計はほんの少しだけ遅れる。
誰にも気づかれないくらい、ほんの一呼吸ぶんだけ。
けれどその隙間に、わたしの秘密はすべりこんでくる。
「きょうは何持ってきたの?」
声は、机の下から聞こえる。
わたしは周りをちらりと見渡して、そっと弁当袋をひざにのせる。
みんなはもう校庭に出ていったり、友だちとおしゃべりに夢中で、わたしのことなんて気にしていない。
「今日はね、いちごジャムのサンドイッチ」
そう言って袋を開くと、ふわっと甘い匂いが広がった。
その瞬間、机の影がゆらりと揺れて、そこからひょい、と小さな手が伸びてくる。
「わあ、いいなあ。いちご、久しぶりだ」
顔を出したのは、わたしだけが知っている友だち――名前は、まだ知らない。
はじめて会ったのは、入学したばかりのころだった。
おやつの時間にパンをかじっていたら、足元で「いい匂い」とつぶやく声がして、びっくりして覗き込んだら、この子がいたのだ。
それ以来、毎日おやつの時間になると現れて、終わるとふっと消える。
「半分こね」
わたしはサンドイッチを割って、小さな手に渡す。
するとその子は嬉しそうに頬をゆるめて、もぐもぐと食べる。
「外の世界の味だ」
「外って、ここも外じゃないの?」
そう聞くと、その子は少し考えてから首をかしげる。
「うーん、ちがうんだ。ぼくのいるところは、もっと静かで、時間がゆっくりで……でも、おやつの時間だけ、こっちに来られる」
「どうしておやつの時間だけ?」
「きっとね、みんなが少しだけ安心してる時間だからだよ」
その言葉は、ふしぎと胸に残った。
たしかに、おやつの時間は、授業の緊張もほどけて、みんなの顔がやわらかくなる。
笑い声も増えて、ちょっとだけ世界が優しくなる。
「だからね、その優しさのすきまに、ぼくは来られるんだと思う」
その子はそう言って、いちごジャムのついた指をぺろりとなめた。
ある日、わたしは勇気を出して聞いてみた。
「ねえ、名前は?」
するとその子は、少しだけ困った顔をした。
「まだ、ないんだ」
「ないの?」
「うん。ぼくの世界では、名前は自分で見つけるものだから。でも、まだ見つかってなくて」
わたしはしばらく考えて、それから言った。
「じゃあ、見つかるまで、わたしが呼んでもいい?」
「いいよ」
「……じゃあ、“おやつくん”」
その子は一瞬きょとんとして、それからくすっと笑った。
「変なの。でも、好きだな」
それから毎日、「おやつくん」と呼ぶと、必ず現れてくれるようになった。
けれど、季節が変わって、空気が少し冷たくなりはじめたころ、いつもの時間になっても、おやつくんは現れなかった。
サンドイッチを半分にして、待ってみる。
でも、時計の針が進むだけで、机の下は静かなままだった。
次の日も、その次の日も。
「もう、来ないのかな」
ぽつりとつぶやいたとき、不意に足元がほんのりあたたかくなった。
「呼んだ?」
かすかな声。
わたしは息をのんで机の下を覗き込む。
そこには、少しだけ大人びた顔をしたおやつくんがいた。
「来られなくて、ごめん。ぼく、やっと名前が見つかったんだ」
「ほんと?なんて名前?」
おやつくんは少し照れたように笑った。
「“よりみち”っていうんだ」
「よりみち?」
「うん。ぼくは、まっすぐじゃなくて、ちょっと寄り道した時間にだけ現れる存在だから」
その言葉を聞いたとき、なぜか少しだけ寂しくなった。
「じゃあ、もう来ないの?」
すると、よりみちは首を横に振った。
「来るよ。でも、毎日じゃなくなるかもしれない。寄り道って、いつも同じ場所にはできないでしょ?」
わたしはうなずく。
「でもね、君がおやつの時間を大事にしてくれるなら、きっとまた会える」
チャイムが鳴る。
その音に溶けるように、よりみちの姿は薄れていく。
「またね」
「うん、またね」
それからわたしは、おやつの時間になると、少しだけゆっくりするようになった。
急いで食べずに、誰かと笑ったり、ひとりでぼんやり空を見たり。
すると、ときどき――本当にときどきだけど。
机の下から、小さな声がする。
「今日は、なに持ってきたの?」
そのたびにわたしは、少しだけ嬉しくなって、サンドイッチを半分にするのだ。


