きょうは風がやさしい理由

面白い

朝、窓を開けたとき、ゆうとは首をかしげた。
「……あれ?」

カーテンが、ふわり、と揺れた。
けれど、いつもの風とちょっと違う。
つめたすぎず、強すぎず、まるで誰かがそっと背中を押してくれるみたいな風だった。

「きょうの風、やさしいなあ」

そうつぶやきながら、ゆうとは学校へ向かった。

通学路の坂道では、たんぽぽの綿毛がふわふわと空へ飛んでいた。
風が強い日なら、ばらばらに飛んでいくはずなのに、今日はゆっくり、迷子にならないように空を歩いているみたいだった。

そのとき。

「ねえ、きみも気づいた?」

声がした。

ゆうとが振り向くと、電柱の影に小さな女の子が立っていた。
麦わら帽子をかぶって、ポケットがふくらんだエプロンをしている。

「風のこと?」ゆうとが聞く。

女の子はにこっと笑った。

「そう。きょうはね、風が“ありがとう集め”をしてる日なんだ」

「ありがとう集め?」

女の子はポケットから小さな瓶を取り出した。
ビー玉くらいの透明な粒が、いくつか入っている。

「これ、ありがとうのかけら」

「え?」

「だれかが『ありがとう』って言うとね、見えない小さな光が生まれるの。それを風が集めて運ぶの」

ゆうとは、ぽかんと口をあけた。

「じゃあ、この風は……」

「そう。やさしい『ありがとう』を運んでる風」

ちょうどそのとき、向こうからおばあさんが歩いてきた。
重そうな買い物袋を持っている。

ゆうとは、ちょっとだけ勇気を出して言った。

「持ちますよ」

「まあ、ありがとう」

その瞬間。

ふわっ。

風が、少しだけ笑ったみたいに吹いた。

女の子が瓶を見て、うれしそうに言う。

「ほら、増えた」

瓶の中に、やわらかな光がひとつ増えていた。

ゆうとは思わず笑ってしまった。

「ほんとだ」

それから二人は少しだけ一緒に歩いた。
落としたハンカチを拾ってあげたり、道を教えてあげたり、パン屋さんで「おいしかったです」と言ったり。

そのたびに、風はふわっとやさしく吹いて、瓶の中の光は少しずつ増えていった。

やがて学校の門が見えてきた。

「じゃあ、ぼく行くね」

ゆうとが言うと、女の子はうなずいた。

「うん。きょうはきっと、町じゅう風がやさしいよ」

「どうして?」

女の子は瓶を空にかざした。

瓶の中の光が、朝の太陽にきらきら反射した。

「だって、みんなが少しずつ“ありがとう”を作ってるから」

そのとき、また風が吹いた。
桜のつぼみをやさしく揺らす、あたたかな風だった。

ゆうとは校門の前で振り返った。

でも、もう女の子はいなかった。
そこにはただ、風だけが静かに通り過ぎていった。

ゆうとはふと思った。

もしかしたら、きょうの風は——
だれかの「ありがとう」を届けに来ているのかもしれない。

だからきっと。

きょうは、風がやさしい。

そして、ゆうとは少しうれしくなって、もう一度小さくつぶやいた。

「ありがとう」

すると、風はまた、ふわりと笑ったみたいに吹いた。