その夜、町は少しだけそわそわしていた。
もちろん、いつもの夜と見た目はほとんど変わらない。
商店街の灯りはゆっくり消えていき、遠くで電車が一度だけガタンと鳴り、コンビニの前には自動ドアの風が静かに吹いている。
でも、どこか空気が軽くて、星まで落ち着きなく瞬いている気がした。
ぼくがそれに気づいたのは、午後十一時三十分。
机の上の時計を見て、思わずため息をついた。
「まだ、三十分もあるのか」
明日は、ぼくの誕生日だった。
正確に言えば、あと三十分で誕生日になる。
けれど、三十分という時間は、待っているときにはやけに長い。
ベッドに入っても、目はぜんぜん閉じない。
布団の中でごろごろしていると、窓の外でかすかな音がした。
コツン。
ぼくは顔を上げた。
もう一度。
コツン。
「……?」
カーテンを開けてみると、窓の外に小さな男の子が浮かんでいた。
正確には、少しだけ浮いている。
「こんばんは」
男の子は平然と手を振った。
パジャマみたいな服に、背中には小さなカバン。
「きみ、明日が待ちきれない顔してるね」
「え?」
ぼくが驚いていると、男の子は窓の縁にちょこんと座った。
「ぼくは“明日配達係”。待ちきれない人のところに、少しだけ明日を届けに来る仕事なんだ」
「……明日を?」
「うん」
男の子はカバンを開けた。
中には、瓶や箱や封筒がぎっしり詰まっている。
「どれがいい?」
「え?」
「明日のかけら。ちょっとだけ先取りできる」
ぼくは半信半疑でカバンをのぞいた。
小さな瓶には、朝の光みたいなものが入っている。
箱の中には、パンの香り。
封筒からは、風の音。
「これは?」
ぼくが指さすと、男の子は笑った。
「それは“明日の最初の笑顔”。開ける?」
ぼくはうなずいた。
封筒を開けると、ふわっと空気が揺れた。
次の瞬間、ぼくの部屋に、誰かの笑い声が広がった。
明るくて、あたたかい声。
「……あ」
それは、きっと明日の朝、家族が「おめでとう」って言うときの声だった。
胸の奥が、ぽっと温かくなる。
「どう?」
男の子が言った。
「ちょっとだけ、明日っぽいでしょ」
ぼくは思わず笑った。
「うん」
時計を見る。
十一時四十五分。
「まだ配達する?」
男の子はカバンを揺らした。
「次はこれ。明日の風」
小さな瓶を開けると、やわらかい風が部屋を通り抜けた。
カーテンがふわりと揺れて、夜の匂いが少し変わる。
まるで、朝が遠くから歩いてきているみたいだった。
十一時五十五分。
ぼくと男の子は窓辺に座って、空を見ていた。
「もうすぐだね」
男の子が言う。
「うん」
星がひとつ、すっと流れた。
時計の針がゆっくり動く。
五十九分。
「ねえ」
ぼくは聞いた。
「きみは、いつ寝るの?」
男の子は肩をすくめた。
「明日が待ちきれない人がいなくなるまでかな」
そして、ちょうどそのとき。
時計が、午前零時を指した。
「おめでとう」
男の子が言った。
その言葉は、さっきの笑い声と同じくらい温かかった。
ぼくが「ありがとう」と言った瞬間、男の子はふっと立ち上がった。
「じゃあ、次の家に行くね」
「待って」
ぼくが言う。
「どうして、明日ってこんなに待ちきれないんだろう」
男の子は少し考えてから言った。
「たぶんね」
にっこり笑う。
「いいことがあるって、知ってるからだよ」
そう言うと、男の子は夜の空へふわっと浮かび上がった。
カバンの中で、明日が小さく光っている。
窓を閉めると、部屋は静かだった。
でも、もうさっきまでの夜とは少し違う。
時計は、午前零時一分。
ぼくは布団にもぐりながら思った。
明日はもう、ここまで来ている。
だからきっと、今夜は世界中のどこかで、誰かが同じ気持ちで空を見上げている。
明日が待ちきれない夜は、きっと少しだけ、未来に近い夜なのだ。


