朝、目を覚ましたとき、ぼくは自分の手が少しだけ向こう側の景色を通していることに気づいた。
窓の外の空が、うっすらと指の中に見えている。
「……あれ?」
手を振ると、光がゆらりと揺れた。
完全に消えているわけじゃない。
けれど、ガラスみたいに、ほんの少しだけ透けている。
鏡の前に立つと、顔も同じだった。
輪郭はちゃんとあるけれど、頬のあたりが薄い。
向こうのカーテンの模様が、ぼんやり見える。
「どうしよう」
とりあえず学校へ行くことにした。
もしかしたら、登校しているうちに元に戻るかもしれない。
外に出ると、空気が少し軽かった。
体がふわっとして、風がそのまま通り抜けるみたいだった。
歩いていると、犬を散歩しているおばあさんとすれ違った。
犬は立ち止まり、首をかしげて、ぼくをじっと見た。
「どうしたの、コロ」
おばあさんは気づいていない。
でも犬は、ぼくの透けた腕を不思議そうに見ていた。
学校では、だれも気づかなかった。
友だちはいつも通り話しかけてくるし、先生も普通に授業をする。
ただ、ぼくが机に手を置くと、木目がうっすら見えるだけだ。
透明になると、ちょっと便利なこともあった。
廊下を歩いていても、だれともぶつからない。
みんな、無意識に少しだけ避けてくれる。
図書室では、本棚のすき間から向こうの景色が見えた。
まるで自分が窓みたいになった気分だった。
でも、昼休みになったころ、少しだけ寂しくなった。
友だちが笑っているのを見ながら、ぼくは思った。
もし、もっと透明になったらどうなるんだろう。
だれにも見えなくなったら。
だれにも気づかれなくなったら。
そのとき、隣の席のユイがぼくの腕をつついた。
「ねえ」
「ん?」
「今日さ、なんか変じゃない?」
どきっとした。
「え、なにが?」
ユイはじっとぼくを見て、それから小さく笑った。
「なんかね、ちょっと透明っぽい」
「……見えてるの?」
「うん。ちょっとだけね」
ぼくはびっくりして、自分の手を見た。
やっぱり、まだ透けている。
「ほかの人には?」
「たぶん見えてないと思う。
でもさ」
ユイは指でぼくの腕の向こうを指した。
「ここから、窓が見える」
ほんとうだった。
ぼくの腕の中に、外の空が入っている。
ユイは面白そうに笑った。
「きれいじゃん」
その言葉を聞いたとき、胸の奥が少しだけ温かくなった。
透明って、消えることだと思っていた。
でも、もしかしたら、そうじゃないのかもしれない。
何かを通して、何かが見える。
そんなふうになることなのかもしれない。
放課後、帰り道。
夕焼けが空いっぱいに広がっていた。
その色が、ぼくの腕の中にも入り込んで、ゆらゆら揺れている。
ガラスみたいな腕の中で、オレンジ色の空が光った。
「明日には戻るかな」
つぶやくと、風がすっと通り抜けた。
でも、もし戻らなくても。
今日、ユイはちゃんと気づいてくれた。
ちょっとだけ透明なぼくを、ちゃんと見てくれた。
それだけで、この不思議な一日は、少し特別なものになった気がした。
家の前に着くころには、手の透け方はだいぶ薄くなっていた。
もうすぐ元に戻るのかもしれない。
でも、ぼくは思った。
またいつか、
ちょっとだけ透明になる日が来てもいいな、と。
そのときはきっと、
今日みたいに、世界の色が体の中に入り込んで、
きれいに光る気がするから。


