その転校生が教室に入ってきた瞬間、わたしは思った。
この人、きっと世界のどこかを間違えて来てしまったのだ、と。
四月の終わり、桜がほとんど散ったころ。
彼は黒板の前で小さく会釈し、「未来から来ました」と言った。
教室は一瞬静まり返り、すぐに笑いが起きる。
けれど担任の先生はなぜか真顔でうなずき、「席は窓際の後ろだ」と指さした。
彼の名前は星名くん。
制服はちゃんと着ているのに、どこか時代がずれているみたいに袖が短い。
休み時間、わたしが「未来って、何年後?」と聞くと、彼は困ったように笑った。
「百年くらい、かな。でも正確には、ちょっと道を間違えただけで」
道を間違えて、百年先からここへ?
星名くんは重度の方向音痴だった。
校舎の三階から一階に行こうとして、なぜか屋上に出る。
購買にパンを買いに行ったはずが、裏庭の物置の前で途方に暮れている。
地図アプリもコンパスも、彼の前ではくるくると狂ってしまうらしい。
「未来ではね、空間はもっとやわらかいんだ。曲がり角を一つ多く曲がると、時間も一緒に曲がる」
だからうっかり曲がりすぎて、ここに落ちてきたのだという。
わたしは半分信じて、半分信じなかった。
でも、彼がときどき遠くを見る目は、本当に百年分の景色を知っているみたいだった。
ある日、星名くんは学校に来なかった。
代わりに、わたしの机の中に小さなメモが入っていた。
『きょう、正しい帰り道を見つける予定です』
胸がひやりとした。
放課後、わたしは校内を走り回った。
三階、二階、体育館、裏庭。
きっとまた迷っているはずだと、半分期待しながら。
屋上の扉を開けると、彼はフェンスにもたれて空を見上げていた。
夕焼けが街をオレンジ色に染めている。
「見つけちゃったの?」と、わたしは息を切らして聞く。
「たぶんね。でも——」
彼は振り向いて、少しだけ寂しそうに笑った。
「きみのいる時代は、寄り道が多くて好きだ」
未来では、道は最短距離で整備され、迷う余地もないらしい。
便利で、正確で、間違いがない。
でもそのぶん、偶然も少ない。
「ぼくがここに来たのは、間違いだった。でも、きみに会えたのは、きっと正解だ」
そんなことを言うから、わたしは急に泣きそうになる。
「じゃあ、帰らなきゃだめなの?」
「うん。向こうにも、ぼくを待ってる時間があるから」
彼はポケットから小さな金属の欠片を取り出した。
星の形をしている。
それを空にかざすと、夕焼けの色が一瞬ゆがんだ。
空間が、薄い布みたいに波打つ。
「でもね」と彼は言う。「ぼくは方向音痴だから、また間違えるかもしれない」
その言葉に、わたしは笑ってしまう。
「そのときは、また屋上で待ってるよ」
風が強く吹いた。
次の瞬間、彼の姿は夕焼けの向こうに溶けていた。
残ったのは、少しだけ冷たい空気と、星の欠片のきらめき。
翌日から、彼の席は空っぽだ。
誰も未来の話をしないし、転校生がいたことさえ、夢みたいに曖昧になっていく。
でも放課後、屋上に上がると、ときどき空がゆがむことがある。
曲がり角を一つ多く曲がったみたいに。
もしまた彼が道を間違えたら。
そのときは、百年ぶんの迷子を連れて、わたしのいる今に帰ってくればいい。
迷うことは、きっと悪いことじゃない。
未来から来た方向音痴が教えてくれた、いちばん確かな道しるべなのだから。


