笑い声が先に帰る日

面白い

その日は、夕方になると笑い声だけが家へ戻っていった。
人はまだ街に残っているのに、声だけが先に帰る。
商店街の角で聞こえたはずの高い笑いは、次の瞬間には空き家の玄関先に落ちていて、ドアの隙間から中へ滑り込んでいく。
乾いた靴音やため息は取り残され、笑いだけが帰路を知っているみたいだった。

僕はその現象を「早退」と呼んでいる。
最初に気づいたのは、三年前の秋。
彼女と別れた帰り道、二人でよく笑った橋の上で、聞き覚えのある声が背中を追い越していった。
振り返っても誰もいない。
ただ、あの頃の笑い声だけが、風を切って家の方向へ急いでいた。

それから街では、ときどき笑い声が先に帰る。
子どもの声、大人の声、年配の人のかすれた笑い。
どれも帰る先を間違えない。
声は持ち主より正確に、居場所を覚えている。
だから、声がいなくなった場所には、静けさだけが残る。
静けさはいつも少し遅れてやってくる。

僕は声の後を追う仕事をしている。
正式な名前はない。
市役所にも載っていない。
ただ、声が先に帰った家をノックして、玄関先に落ちている笑いを拾い集める。
それを小さな瓶に入れて、棚に並べる。
笑い声は軽く、触ると微かに温かい。
長く放っておくと、音は溶けて、ただの記憶になる。

ある日、見覚えのある笑いを拾った。
彼女の声だった。
瓶に入れた瞬間、胸の奥が少しだけ鳴った。
彼女はもう、この街にいない。
それでも笑い声だけは、迷わず僕の家へ帰ってきたのだ。

夜、棚の前に座り、瓶の蓋を少し開ける。
音が漏れる。
昔みたいに、他愛のない話で笑っている声。
僕はその音に応えない。
ただ聞く。
声は応答を求めていない。
帰りたかっただけなのだ。

翌朝、瓶は空になっていた。
笑い声は、完全に帰ってしまったらしい。
代わりに、部屋には柔らかな静けさが残っていた。
悲しくはなかった。
静けさは、声が通ったあとにしか生まれない。

その日の夕方、街に出ると、また誰かの笑い声が走り抜けていった。
僕はそれを見送り、追わなかった。
すべての声を瓶に閉じ込める必要はない。
先に帰れるものは、先に帰ればいい。

笑い声が先に帰る日。
人は少し遅れて、でもちゃんと帰ってくる。
静けさを連れて。