その記憶には、鍵がかからなかった。
人は誰でも、忘れたい記憶をしまうための小さな箱を心の奥に持っている、と言われている。
蓋を閉じ、鍵をかけ、二度と開かないようにするための箱だ。
けれど私の箱には、最初から鍵穴がなかった。
朝、コーヒーを淹れる音を聞くだけで、あの冬の駅に引き戻される。
湿ったホームの匂い、電光掲示板の白い光、あなたが言いかけてやめた言葉。
関係のないはずの些細な刺激が、無遠慮に記憶を開いてしまう。
私はそのたび、立ち尽くす。
忘却局で働く友人は言った。
「普通はね、時間が経てば自然に錆びて、鍵も回らなくなるんだよ」。
彼女は淡々と書類をめくりながら、私の記憶の状態を「異常開放」と分類した。
閉じる努力をしていないわけではない。
ただ、閉じようとすると、記憶のほうが先に溢れ出してしまうのだ。
夜になると、部屋の隅にあなたが座っている気がする。
もちろん幻だとわかっている。
それでも、話しかけてしまう。
「今日は寒かった」とか、「あの店、まだあるかな」とか。
返事はないのに、記憶は正確に、あなたの声色まで再生する。
鍵のかからない扉は、訪問者を選ばない。
ある日、友人が一つの提案をした。
「閉じられないなら、出入りを許すしかない」。
記憶を追い出すのではなく、通り道として扱う。
私は半信半疑で、あなたの記憶に椅子を用意した。
無理に目を逸らさず、来るものを拒まない。
すると不思議なことに、記憶は少しずつ形を変えた。
刺すような痛みだった場面が、静かな輪郭を持ちはじめる。
あなたの最後の背中は、もう逃げ場のない呪いではなく、一つの風景になった。
鍵がないからこそ、記憶は居場所を失わず、暴れなくなったのかもしれない。
今も私の記憶には鍵がない。
突然、扉は開く。
それでも私はもう慌てない。
入ってきたものに名前をつけ、椅子を勧め、やがて自然に帰っていくのを待つ。
鍵のかからない記憶は、弱さの証だと思っていた。
でも今は、違う気がする。
閉じられないからこそ、私は過去と同じ部屋で呼吸しながら、今日を生きているのだ。
扉は開いたまま。
それでも、私はもう迷子ではない。

