その町には、声にならなかった言葉たちが集まる場所があった。
駅から少し離れた、川沿いの古い倉庫。
看板もなく、扉はいつも半分だけ開いている。
夜になると、そこからかすかなざわめきが漏れ聞こえた。
人の声に似ているけれど、どれも最後まで形を持たない、途中でほどけたような音だった。
私は、その倉庫の管理をしている。
といっても、特別な仕事はない。
ただ、床に溜まった言葉を拾い集め、棚に並べるだけだ。
声にならなかった言葉は、重さも色もばらばらだった。
「ありがとう」と言えなかった後悔は、淡い金色で軽い。
「ごめん」と飲み込んだ夜の言葉は、濃い影のように重い。
「行かないで」と言えなかった別れの言葉は、触れると指先が少し冷たくなった。
人は毎日、無数の言葉を声にしないまま生きている。
勇気が足りなかった言葉、遅すぎた言葉、優しすぎてしまった言葉。
それらは行き場を失い、夜の隙間からこの倉庫へ流れ着く。
ある晩、ひとつの言葉が私の足元でかすかに震えた。
透明に近く、ほとんど形がない。
それでも、なぜか目を離せなかった。
拾い上げると、その言葉は微かに温かかった。
「……好きだった」
そう、聞こえた気がした。
誰が、誰に向けて、どんな時間を越えて生まれた言葉なのかは分からない。
ただ、その言葉は声になる直前で止まり、胸の奥にしまわれたまま、ここへ辿り着いたのだろう。
私は棚に置かず、しばらく手のひらに乗せていた。
すると言葉は、ゆっくりと光を失い、やがて空気に溶けていった。
声にならなかった言葉は、必ずしも誰かに届く必要はない。
けれど、存在しなかったことにはならない。
言えなかったその瞬間に、確かに生まれ、確かに誰かの人生をかすめている。
夜明け前、倉庫の窓から川を見下ろす。
流れは静かで、言葉たちの気配は薄れていた。
今日もきっと、どこかで声にならない言葉が生まれている。
それでも私は、この場所を守り続ける。
言葉たちが、せめて消える前に「在った」ことを、誰かが知っているために。
倉庫の扉を閉めると、遠くで鳥が鳴いた。
その声ははっきりしていて、少しだけ眩しかった。


