この記録は、すでに終わった出来事から始まる。
最初のページには、黒く太い文字でこう書かれていた。
「世界は、昨日、静かに終わった」
私はその一文を何度も読み返した。
だが窓の外では、いつも通り朝の光が差し込み、遠くで電車の走る音が聞こえる。
終わったはずの世界は、何事もなかったように息をしていた。
記録装置は机の上に置かれている。
政府が最後に残した装置だと説明書にはあった。
世界が崩壊したあと、その過程を逆から保存するためのもの。
つまり、これは「終わりから始まる歴史書」なのだという。
次のページをめくる。
「人々は、終わりに気づかないまま眠りについた」
確かに昨夜、特別な出来事はなかった。
ニュースも平凡で、夕食の味もいつも通りだった。
ただ、理由のわからない胸騒ぎだけが残っていた。
それが、世界の終わりの余韻だったのかもしれない。
ページを進めるごとに、時間は少しずつ巻き戻っていく。
「最後に消えたのは、名前だった」
「次に失われたのは、約束だった」
「その前に、未来という言葉が意味を持たなくなった」
読み進めるほど、私は何かを思い出せなくなっていることに気づく。
友人の顔、通い慣れた道、かつて抱いていた夢。
記録が過去へ戻るたび、私の中から何かが抜け落ちていった。
怖くなってページを閉じようとしたが、装置はそれを許さなかった。
記録は、読み手の時間も同時に巻き戻す仕組みらしい。
「ここからが、始まりだ」
そう書かれたページにたどり着いたとき、私は子どもだった。
文字を追う指は小さく、部屋も見覚えのないものになっている。
それでも、不思議と悲しさはなかった。
最後のページには、たった一行だけ残されていた。
「誰かが記録を読み終えたとき、世界はもう一度始まる」
私はその意味を理解する前に、文字の読み方を忘れた。
装置の存在も、世界の終わりも知らないまま、ただ朝の光の中で目を覚ました。
机の上には、何もない。
だが世界は、確かにもう一度、静かに始まっていた。

