世界から熱が失われていくことに、人々が気づいたのは遅すぎた。
最初は季節の異常だと思われていた。
夏が短く、冬が長い。
吐く息が白くなる時期が、年々早まる。
それでも人々は暖房を強め、服を重ね、やり過ごそうとした。
だがある日、海から湯気が立たなくなり、火山の噴煙がただの灰色の息に変わった。
地球そのものが、ゆっくりと体温を失っているのだと、ようやく理解された。
原因は最後まで特定されなかった。
ただ、エネルギーも、摩擦も、感情さえも、熱へ変換されにくくなっていた。
怒っても体は熱くならず、恋をしても胸は高鳴らない。
涙は凍る前に落ち、音は空気を震わせる力を失っていった。
私は「温度保存局」で働いていた。
人類が残せる最後の熱を、どこに、どのように保管するかを決める場所だ。
核融合炉の余熱、恒星から集めた光、地球深部の微かなぬくもり。
それらは次々に冷え、数値だけが記録として残った。
そんな中で発見されたのが、「個人に紐づいた温度」だった。
人が誰かを想うとき、ほんの一瞬だけ生まれる、説明できない熱。
それはエネルギー法則から外れ、測定も困難だったが、確かに存在した。
保存局はそれを集め、最後の希望として保管する計画を立てた。
私は自分の温度を提供することにした。
思い浮かべたのは、もう会えない人の背中だった。
冬のバス停で、コート越しに触れたあの体温。
名前を呼ばずに別れた夜の、近すぎた距離。
思い出した瞬間、胸の奥がわずかに熱を持った。
装置の表示が、初めてゼロ以外の数値を示した。
だが保存できた温度は、ひとつだけだった。
人類全体で、最後に残った熱。誰のものかは記録されなかった。
ただ「誰かが、誰かを想った痕跡」とだけ記された。
世界はその後、完全に冷えた。
風は吹かず、星は瞬かない。
動くものは何もない。
それでも私は、暗闇の中でその温度を手に取る。
触れた瞬間、存在しないはずのぬくもりが、確かに指先にあった。
それは世界を温めるには足りない。未来を取り戻す力もない。
それでも――
誰かが誰かを想ったという事実だけが、最後まで凍らずに残った。
私はその温度を、そっと胸にしまう。
世界が終わったあとでも、想うことだけは、終わらせないために。


