夜明け前、町の端にある古い駅に、記憶よりも薄い光がともるという噂があった。
誰かが強く思い出そうとした瞬間にだけ、ホームの隅で瞬く、名もない光。
見た者は皆、理由を説明できず、ただ胸の奥が静かに痛むのだと言う。
私はある日、その駅で働く清掃員の代役を引き受けた。
終電が去った後、時計は三時を指し、風の音だけが線路を撫でていた。
掃除道具を片付けようとしたとき、ホームの端で、淡い点が揺れた。
星ほど強くもなく、蛍ほど近くもない、まるで思い出しかけて忘れてしまった言葉のような光だった。
近づくと、光は私の影に触れて、少しだけ色を変えた。
白でも青でもない、懐かしさに名前をつけ損ねた色。
触れられないはずなのに、指先が温かくなった。
頭の中に、知らないはずの風景が浮かぶ。
川沿いのベンチ、濡れた靴、笑い声。
けれど誰の記憶かはわからない。
自分のものではない確信だけが、静かにあった。
駅長に尋ねると、彼は苦笑した。
「あれは置き忘れですよ。思い出すほど強くなく、忘れるほど弱くもない。だから光になって、ここに残る」
「誰の?」
「もう、誰のでもない」
その夜から、私は仕事の後に光を待つようになった。
光は日によって強さを変え、時には現れない。
現れたとしても、長くは留まらない。
私はただ、そこに立ち、呼吸を合わせる。
すると、胸の奥に溜まっていた言葉にならない感情が、少しだけ軽くなるのだった。
ある雨の夜、光はいつもより弱かった。
今にも消えそうで、私は思わず名前を探した。
けれど、名付けた瞬間に壊れてしまう気がして、口を閉じた。
代わりに、心の中でありがとうとだけ言った。
光は小さく揺れ、雨に溶けるように消えた。
それから、噂は途絶えた。
駅は変わらず古く、朝は来る。
けれど私は知っている。
記憶よりも薄い光は、失われたのではない。
誰かの中で、言葉になる手前の温度として、生き方をそっと照らしているのだ。
思い出せなくても、忘れなくていい。
そういうものが、確かにあると、あの夜のホームが教えてくれた。

