帰ることで完成する空

動物

空が冷えはじめると、私は羽の向きを南へ変える。
毎年同じことを繰り返しているはずなのに、そのたびに胸の奥で、小さな問いが羽ばたく。
「帰る場所」とは、いったい何だろう、と。

私たち渡り鳥は、地図を持たない。
けれど風の匂い、雲の高さ、星の並びを覚えている。
海を越え、山を越え、見えない道をたどる。
それは本能だと言われるけれど、私はそれだけでは足りない気がしていた。
なぜなら、途中で何度も思うからだ。
ここでも生きられる、と。

ある年、嵐に巻き込まれ、私は群れからはぐれた。
翼は重く、見知らぬ湿地に降りた。
そこには背の低い草と、静かな水面があり、夕暮れになると小さな虫が群れをなした。
私は空腹を満たし、夜を越した。
翌朝、陽の光はやわらかく、危険もない。
ここは悪くない。
むしろ、心が落ち着く。

数日間、私はそこに留まった。
人間の子どもが遠くから私を見て、手を振った。
私は飛び立たず、ただ首を傾げた。
誰にも追われず、寒さもまだ来ない。
この場所を「帰る場所」と呼んでもいいのではないか。
そう思った。

けれど夜になると、胸の奥がざわめいた。
夢の中で、私は見慣れた岸辺を飛んでいた。
風の流れが違う。水の色が違う。
何より、そこには「待っている気配」があった。
誰かの姿があるわけではない。
それでも、確かに感じるのだ。
ここに戻ることを前提に、季節が巡っている、という感覚を。

翌朝、私は再び飛び立った。
湿地を振り返ると、静かで優しい場所だったと思う。
それでも私は知ったのだ。
帰る場所とは、心地よい場所のことではない。
生き延びやすい場所のことでもない。

長い旅の末、私はいつもの岸辺に戻った。
群れの声が重なり、風が翼を押し上げる。
特別な印は何もない。
ただ、ここでは私の到着が、季節の一部として受け入れられている。
それが「帰る」ということなのだ。

私はまた旅に出るだろう。
迷い、寄り道もするだろう。
それでも、空のどこかで必ず思い出す。
この世界には、私が戻ることで完成する場所がある。
その場所を胸に抱いて飛ぶ限り、私は道に迷わない。

帰る場所とは、私が私であり続けるための、静かな約束なのだ。