私は、街外れのゴミ置き場に並べられた一足の靴だ。
右足のかかとはすり減り、左足の甲には、雨の日にできた深いしみが残っている。
誰ももう振り向かないけれど、私は確かに、ひとりの人間の人生を足元から見てきた。
最初に彼に履かれたのは、春だった。
箱を開けたときの革の匂いと、少し硬い感触を覚えている。
彼は大学に入学したばかりで、鏡の前で何度も足踏みをしては、照れくさそうに笑った。
新しい街、新しい友人、新しい夢。
私は彼の不安と期待を、そのまま重さとして受け止めていた。
毎朝、駅まで急ぐ足取りは次第に速くなった。
講義に遅れそうな日、好きな人に会いに行く日の慎重な歩幅、失恋の夜に引きずられるような重たい一歩。
私は言葉を持たない代わりに、すべてを擦り減りながら覚えていった。
社会人になると、彼は少し猫背になった。
満員電車の床で、私は何度も踏まれ、傷を増やした。
雨の日、雪の日、終電を逃した夜。
革の中に染み込んだ汗と疲労は、彼が弱音を吐かずに働いている証だった。
私は彼の愚痴を聞くことはできなかったが、重さだけは正直に伝わってきた。
ある日、彼は誰かと並んで歩いた。
歩幅を合わせるように、少しゆっくりと。
アスファルトに落ちる影が二つになるのを、私は見ていた。
幸せな日は、不思議と地面が柔らかく感じられた。
けれど年月は残酷だ。
私の底は薄くなり、雨水が直接、彼の足に触れるようになった。
ある朝、彼はため息をつき、私を見下ろして言った。
「もう限界だな」。
その声は、どこか申し訳なさそうだった。
最後に履かれたのは、引っ越しの日だった。
段ボールを運ぶ忙しい足取り。
新しい靴は玄関で待っていたが、彼は私を選んだ。
重い荷物を運び終えたあと、彼は私をそっと外し、しばらく黙って見つめていた。
そして私は、ここに置かれた。
捨てられたのではない。
役目を終えたのだ。彼の人生の、確かに必要だった時間を支えたあとで。
夕方の風が、私の中を通り抜ける。
もう歩くことはないけれど、彼がどこかで新しい靴と、新しい人生を歩いていることを、私は知っている。
足元で見続けてきたからこそ、それだけは、確かにわかるのだ。

