夜と朝のあいだにある細い路地を、だれも知らないときだけ開く扉がある。
古い歯車の看板には、消えかけた金色の文字でこう書かれていた――「夢の修理屋」。
気づけば、春斗はその前に立っていた。
眠っていたはずなのに、足元には石畳のひんやりとした感触があった。
胸の奥が少しだけ痛い。
最近、悪い夢ばかり見るのだ。
落ちる夢、追いかけられる夢、ひとりぼっちの夢。
「いらっしゃい」
鈴の音とともに現れたのは、小さな丸眼鏡をかけた店主だった。
年齢はわからない。
子どものような、大人のような、不思議な笑みをしている。
店の中には、色とりどりの瓶や引き出しが並んでいた。
瓶の中では小さな星が瞬き、引き出しの隙間からは子守唄のような音が漏れている。
天井から吊られた網には、やぶれた夢の切れ端がひらひら揺れていた。
「ここは夢の修理屋さんだよ。夢がほどけたり、欠けたり、痛くなってしまった人が迷い込んでくる」
店主はそう言うと、春斗の胸のあたりをそっと指差した。
「見せてごらん」
次の瞬間、春斗の前に一冊のノートが現れた。
表紙には自分の名前。
ぱらぱらと風にめくられるようにページが開き、夜ごと見た夢があらわれる。
真っ黒な森、遠ざかる友だち、届かない声。
ページの端はしわくちゃで、ところどころ破れていた。
「だいぶ無理をしたね」
店主はつぶやくと、小さな工具箱を開けた。
中には針のようなペンや、光る糸、透明な接着剤が入っている。
それを手際よく使いながら、壊れた夢を縫い、つぎはぎしていく。
「どうして夢は壊れるの?」春斗は聞いた。
店主は少しだけ考えてから答えた。
「だれかに言えなかった気持ちや、しまいこんだ涙が重くなるとね。夢が先に悲鳴を上げるんだよ」
春斗の喉がきゅっとなった。
思い当たることがあった。
引っ越しで学校が変わった日。
さよならを言いそびれた友だち。
うまく笑えなかった自分。
店主はやさしくうなずいた。
「直すのは、夢だけじゃない。ここに持ってきてくれた気持ちもだ」
修理が終わると、ノートのページはやわらかな光に包まれた。
真っ暗だった森には小径ができ、遠くの友だちは振り返って手を振っていた。
追いかけられる夢は、かけっこの夢に生まれ変わっていた。
「もう大丈夫。だけど」
店主は人差し指を立てた。
「夢は生きものだ。明日からは、大事にしてやるんだよ。泣きたいときは、少し泣いていい。寂しいときは、『さびしい』って言っていい」
春斗はうなずいた。
胸の痛みが、ゆっくりほどけていく。
帰り道の扉が開き、朝の光が差し込んだ。
「また壊してしまったら?」と振り返ってたずねる。
店主は笑った。
「そのときはまた迷い込んでおいで。夢は何度でも直せる。君も、何度でもやり直せる」
光に包まれながら春斗は目を覚ました。
部屋の天井、窓の外の淡い空。
布団の中で、そっとつぶやく。
「いってきます、ぼくの夢」
その朝、悪い夢はもう追いかけてこなかった。
ただ胸の奥で、ちいさな鈴の音だけが優しく鳴っていた。

