放課後、校門を出た瞬間、空が泣き出した。
大きな雨粒がアスファルトを叩き、世界の輪郭を少しずつ溶かしていく。
傘を忘れたことに気づいた私は、しばらく軒下で雨宿りをするつもりだった。
けれど、その時――人の流れの中に、おかしな存在が混じっているのに気づいた。
色も模様もない、完全に透明な傘。
それを静かに差した人たちが、音もなく通りを歩いていた。
彼らは濡れていない。
けれど、まるでこの世界に触れることも許されていないみたいに、地面から少し浮いているように見えた。
私は思わず一歩踏み出した。
その瞬間、近くを通り過ぎた透明な傘の人が、ふと立ち止まり、こちらを見た。
顔は、はっきりしない。
輪郭が雨に滲んでいる。
なのに、なぜか懐かしい温度だけが胸に流れ込んでくる。
「聞こえる?」
声ではなかった。
心の奥にやさしく触れるような響きだった。
私はうなずいたつもりだったが、声が出ていたのか自分でもわからない。
透明な傘の人は、小さく笑ったように見えた。
「私たちは、忘れられた人。思い出されるのを待っている人」
雨脚が強くなると、彼らの輪郭は少しだけ濃くなった。
街灯の光が傘を透けて揺れ、ぼんやりとした光の影が道路に落ちる。
私は気づいた。
その一人ひとりに、見覚えがある。
昔一緒に遊んだ友だち。
引っ越していった隣のおばあさん。
もういないはずの、あの日の猫。
そして――
最後尾に、父がいた。
事故の日から、笑い声の記憶ばかり薄れて、泣いた夜の記憶だけが濃くなっていた父。
透明な傘を差し、私に気づいたように顔を上げる。
言葉は交わせない。
それでも、伝わった。
「大丈夫だよ。ちゃんと、生きてるよ」
胸の奥がゆっくり温かくほどけた。
その瞬間、雨が弱まり始めた。
ぽつ、ぽつ。
音が軽くなるのにつれて、透明な傘の人たちも、色を失うみたいに薄れていく。
私はあわてて叫んだ。
「また会えるの?」
返事はなかった。
ただ、父が軽く傘を持ち上げて見せた。
「雨の日に」――そんな仕草だった。
やがて雨は完全に止み、道路に映る空が明るくなる。
気づけば、透明な傘の人たちは誰ひとり残っていなかった。
通り過ぎる人々は、何も知らない顔で青空を見上げている。
私は濡れた前髪を払いながら、心の中でそっとつぶやいた。
――また、雨が降る日を待とう。
その時私は、もう忘れない。
悲しいだけじゃない思い出も、ちゃんと胸に抱いたまま。
そしてきっと、あの透明な傘に、手を振るのだ。


