小さな商店街のはずれにある八百屋の前を通るたび、涼子の足は自然と止まった。
山のように積まれたきゅうりの緑が、夏の記憶をそっと呼び起こすからだ。
彼女はオイキムチが好きだった。
ただ「好き」という言葉では足りないくらい、胸の奥が少しあたたかくなるような思い出が、その味に結びついていた。
涼子が初めてオイキムチを食べたのは、中学生のころ。
隣に引っ越してきた韓国出身のおばあさんが、「できたてだよ」と笑いながら手渡してくれた。
真ん中を割られたきゅうりに赤いヤンニョムが挟まれ、細いねぎが顔をのぞかせている。
辛そうだな、と思いながら一口かじると、ぱん、ときゅうりが弾けるような音を立て、みずみずしい甘さと、じんわり広がる辛さが口いっぱいに広がった。
その瞬間、涼子の世界は少し広がった。
知らない国の料理を食べている、という驚きより、誰かに「おいしいものを分けてもらった」温かさに包まれたのだ。
おばあさんの台所は唐辛子の色とにんにくの香りで満ち、窓際には干し野菜が揺れていた。
「食べることは、一緒に生きることだよ」おばあさんはそう言って笑った。
やがて季節が巡り、涼子は大人になった。
仕事に追われ、コンビニのおにぎりで済ませる日も増えた。
気づけば、台所で何かを漬ける時間など持たなくなっていた。
そんなある年の夏の夕暮れ、商店街の八百屋で新鮮なきゅうりが並ぶのを見たとき、胸の奥がふっと疼いた。
気づけば、涼子は両手いっぱいにきゅうりを抱えていた。
帰宅すると、久しぶりに台所の窓を開けた。
薄い風がレースのカーテンを揺らす。
にんにく、しょうが、粉唐辛子、塩、砂糖、そして魚醤。
分量は正確ではない。
でも、記憶が手を導く。
きゅうりに切れ目を入れ、優しく広げ、ヤンニョムを詰める。
指先が赤く染まり、台所に懐かしい香りが満ちていく。
できあがったばかりのオイキムチを一つ、そっとかじる。
ぱり、と歯ざわりが鳴り、ひんやりとした汁が舌に広がる。
辛さの奥に、夏の光と、人の笑顔と、あの日の台所の気配がよみがえる。
胸がいっぱいになり、涼子は小さく笑った。
「ただいま」
思わず口からこぼれた言葉は、誰に向けられたものだったのだろう。
もう隣のおばあさんの家は空き家で、台所の窓の向こうには静かな夜が広がっている。
それでも、味はつながっていた。
誰かと食卓を囲み、心を分け合った記憶が、この赤いソースの中に生きていた。
次の日、涼子はタッパーにオイキムチを詰め、職場に持っていった。
昼休み、同僚が興味深そうにのぞく。
「ちょっと辛いけど、おいしいよ」と差し出すと、恐る恐る一口、そして笑顔。
「これ、教えて」と言われて、涼子は少しだけ誇らしくなった。
食べることは、一緒に生きること。
かつて聞いた言葉が、今度は涼子の中で静かに根を張る。
オイキムチの赤い色は、辛さだけでなく、人と人をつなぐあたたかさの色だと、彼女は知っていた。
夕暮れ、台所の窓から夏の光が射し込む。
漬けたばかりの瓶が、静かに息づいている。
涼子はエプロンの紐を結び直し、心の中でそっとつぶやいた。
――また、誰かと分け合えるように。


