冬の商店街は、白い息といっしょに静けさを吐き出していた。
かつては夕方になれば買い物客でにぎわった通りも、今はシャッターが半分ほど降りたまま。
冷たい風が古い旗を揺らし、からからと頼りない音を立てている。
その真ん中で、小さなパン屋「ひだまりベーカリー」だけは、朝早くから明かりを灯していた。
店主の海斗はまだ二十代。
祖母から受け継いだこの店を守ろうと、毎日粉だらけになりながらパンを焼いている。
しかし、冬の売上は厳しかった。
厚いマフラーに顔をうずめた人たちは、通り過ぎるだけで店に入ってこない。
レジ横のノートには、祖母が書いた丸い字で「商店街は家族みたいなものだよ」とある。
その言葉を見つめながら、海斗はぽつりとつぶやいた。
「このままじゃ、みんな本当にいなくなっちゃう」
その夜、オーブンの余熱が残る店内で、海斗は考えた。
パン屋にできることは何だろう。
大きなことはできない。
でも、小さな火なら灯せるかもしれない。
そうして生まれたのが、「商店街あったか作戦」だった。
翌週末。
雪まじりの風の中、パン屋の前に小さな黒板が立った。
――本日限定 商店街めぐりスタンプパン
パンを買うと、商店街の店を回れるスタンプカードがもらえる。
三つ集めると、パン屋特製の「冬のあったかスープ」が無料。
海斗は近所の八百屋や文房具屋、古い喫茶店に頭を下げて回った。
「うちなんかでいいのかい?」
「もちろんです。人が歩けば、それだけで温かくなります」
最初の土曜日、期待と不安で胸がざわついた。
すると、手をつないだ親子が黒板の前で足を止めた。
「スタンプ、集めてみる?」
その声を合図に、少しずつ人が増えた。
八百屋のおじさんは久しぶりに大きな声で呼び込みをし、文房具屋の奥さんは子どもに雪だるま形の消しゴムを見せて笑わせた。
通りに、湯気と笑い声が戻ってくる。
パン屋のスープは大鍋でぐつぐつと温かく、野菜のやさしい香りが漂った。
店内では、氷のように冷えた指先をカップに添えた人々が、ほっと肩の力を抜いている。
「なんだか、昔みたいだね」
古い喫茶店のマスターがそう言って、海斗にウインクした。
日が暮れるころ、商店街のイルミネーションが控えめに灯った。
最新の派手さはないけれど、電球一つひとつがゆらぎながら通りを照らす。
その明かりの中で、海斗は気づいた。
自分が元気にしたかったのは商店街だけじゃない。
ここで暮らす人の気持ちだったのだ。
最後のお客さんを見送ったあと、海斗はレジ横のノートを開いた。
祖母の字の下に、新しく書き足す。
「小さな火でも、みんなで集まれば冬を照らせる」
外では、粉雪が静かに降りはじめていた。
けれど商店街には、パンの香りと人のぬくもりが満ちている。
冬はまだ続く。
だが、海斗はもう怖くなかった。
明日の朝も、ひだまりベーカリーのオーブンは早くから灯る。
焼き立てのパンの湯気と一緒に、この通りの小さな灯りを、そっと守るために。

